
仮面は、アジアからアフリカまで世界の数多くの文化に見られる。その目的は、神聖なものや医療的なものから世俗的なものまでさまざまだ。仮面が流行した時代もある。たとえば16世紀のヨーロッパでは、裕福な女性たちが顔を覆うことで、日差しや詮索ずきな視線から肌を守っていた。
当時、白い肌は身分の高さの象徴とみなされていた。太陽にさらされた肌が示唆するのは、今日そうであるように健康や活力ではなく、屋外で働く必要性や労苦だった。そばかすや日焼けのない薄い肌色を保とうと、上流階級の女性たちは、日差し、風、ほこりから肌を守ってくれる顔の覆いを着用するようになる。なめらかな白い肌をさらに強調するために、白い厚塗りメイクが施される場合も少なくなかった。
道徳家たちが問題視した、顔を覆う「ビザード」
英国のロンドン、フランスのパリ、イタリアのベネチアなどの上流社会で、まず流行に敏感な女性たちが仮面を着け始めた。最初期の仮面は、黒いベルベット製で、顔の上部が覆われるようになっていた(フランスでは、このタイプの仮面は子供たちをおびえさせたことから「ルー」、つまりオオカミと呼ばれた)。

「ビザード」というのは、顔全体を覆うタイプの仮面だ。一部のビザードは、頭の後ろで留めるのではなく、仮面の内側に取り付けられたビーズを歯でかんで固定していた。そのほか、扇のように持ち歩いて、着用者が顔の前に掲げて相貌を隠すタイプのビザードもあった。
ビザードは顔全体が覆われることから、道徳家たちがこれを問題視した。1583年、清教徒の社会改革者フィリップ・スタッブスは、自著『The Anatomie of Abuses(悪癖の解剖学)』で、顔全体を覆う仮面についてこう書いている。「もし彼女たちの身なりを知らない者が、偶然そうした1人に遭ったなら、彼は自分が怪物か喪服を目にしていると思うだろう。相手の顔が見えないのだから」。ビザードを着けている者は「神の名を汚して」おり、「あらゆる種類の官能と快楽に浸って」いるとスタッブスは断言した。
