日経ナショナル ジオグラフィック社

スペイン王室へ

1559年、ソフォニスバの青春時代を通じて長く続いていたイタリア戦争が終結した。当時、クレモナのあったミラノ公国は、スペインの支配を受けていた。ソフォニスバの才能に目を留めたスペインのミラノ総督は、宮廷画家としてスペイン国王フェリペ2世にソフォニスバを推薦した。こうしてソフォニスバは、スペインのマドリードにある王宮へ招かれる。正式には、フェリペ2世がフランスから新しく迎えたエリザベート(スペイン語ではイサベル)・ヴァロワ妃の女官という立場だったが、実際の仕事は王室の人々の肖像画やその他の絵を描くことだった。

ソフォニスバのマドリード滞在は長期にわたり、親しい友人にも恵まれた。特に、わずか14歳で嫁入りしたイサベル妃と親交を深め、王妃が妊娠中もそばに付き添った。また、イサベル・クララ・エウヘニア王女とカタリーナ・ミカエラ王女に美術を教えた。

1560年代初めの作品。夫であるフェリペ2世の小さな肖像画を手にする10代のイサベル妃(ALBUM)
フェリペ2世とイサベル妃の娘、イサベル・C・エウヘニア王女。作者ははっきりしていない。完成した年は1586年となっているが、ソフォニスバはその前に宮廷を離れている。しかし、この作品のスタイルは、正式な宮廷画家であるサンチェス・コエリョのものとも一致しない(BRIDGEMAN)

王室一家と親しい関係を築いたことで、ソフォニスバは厳格な基準が求められるなかにも、表現豊かで温かみのある宮廷肖像画を描くことができたのだろう。

ところが1568年、スペイン王室に悲劇が訪れる。23歳だったイサベル妃が、出産により死亡したのだ。親友の死をソフォニスバは深く嘆き悲しんだと、イタリアの大使たちは報告している。その後、王妃の側近の多くがマドリードを離れたが、ソフォニスバは、王女たちの教師を続けてほしいとのフェリペ2世の要請で、宮廷にとどまった。

フェリペ2世。ソフォニスバによる1565年の作品(ALBUM/ORONOZ)

ソフォニスバは宮廷において高い評価を受け、女性画家としてまれにみる名声を手に入れた。スペイン王室からソフォニスバに与えられた多額の年金が、その地位がいかに高かったかを示している。

謎の画家、謎の女性

現在、多くの美術史家は、ソフォニスバ・アングイッソラの作品のいくつかが、宮廷画家の長であったアロンソ・サンチェス・コエリョなど別の男性画家のものだと誤解されてきたと考えている。

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