「1560年以降は政治的に不安定で、イングランドとスコットランドでは緊張が高まりました。スペインも、婚姻やスパイ活動や侵略によってカトリックの領土を確保しようとしていました。そんな時代を生き抜くためには、暗号で身を守る必要があったのです」とデシルバ氏は説明する。
「秘密の手紙」を巡るスパイ活動
フランソワが病死したため、メアリーは1561年にスコットランドに帰国、1565年にダーンリー卿と再婚した。ところが、お気に入りの秘書リッツィオを夫に殺害されてしまった。そのダーンリー卿は1567年にボズウェル伯によって暗殺されてしまう。これに関与していたとされるメアリーはボズウェル伯と結婚したが、まもなく貴族たちが反乱を起こし、彼女は廃位されることとなった。1568年、メアリーは、従姉妹に当たるイングランドのエリザベス1世のもとに逃げ込んだ。しかし、メアリーは、長年イングランドの王位奪取を目論んでいると疑われていた。このため、エリザベスは彼女を軟禁し、王室のスパイであるフランシス・ウォルシンガムに監視を命じた。

ウォルシンガムはメアリーとフランス宮廷との間で交わされた手紙を傍受するため、フランス宮廷内にスパイを送り込み、いくつか入手することに成功した。その1つが、1586年にエリザベスを暗殺しようとした陰謀にメアリーが関与していたことを示す有名な暗号文だった。この手紙によりメアリーは処刑されることになり、学者はメアリーが暗号を使用していたことを早い段階から知ることになった。
ウォルシンガムのスパイは駐英フランス大使ミシェル・ド・カステルノーが書いた手紙も入手しており、そこにはメアリーがさらなる秘密の手紙を書いていたことが繰り返し記されていた。しかし歴史家たちは、これらの密書はド・カステルノーによって巧妙に隠され、永久に失われたものと思っていた。
ところが、これらはフランス国立図書館に保管されていたのである。
余暇を楽しむつもりが・・・
2018年、ラスリー氏はフランス国立図書館が所蔵するデジタルコレクションを閲覧して、余暇に解読できそうな未解決の歴史的暗号文を探していた。そして、16世紀初頭のイタリア語の書簡を集めたファイルの中に、一連の手紙を発見した。この暗号文は、すべてが記号(複雑に蛇行する線や曲線、ラテン文字やそのバリエーションなど)で書かれていたため、いつ誰が書いたものなのか、その内容が何語で書かれているのか、何も分からなかった。そこで彼はビールマン氏と友清氏に協力を仰ぎ、暗号解読に着手した。
3人のアマチュア暗号研究者は、友清氏が運営する歴史的暗号を扱うウェブサイト「Cryptiana(クリプティアナ)」の投稿仲間で、それまで直接会ったことはなかったという。
「これらの暗号がメアリーによって書かれたことなど誰も知りませんから、学者たちには暗号を解く動機はありませんでした」とラスリー氏。「解こうとするのは、私たちのような暗号好きの変人だけでしょう」
3人はまず、暗号の15万個の文字を現代のコンピューターが認識できる記号に書き換えることに取り組んだ。これらの文字が191種類の記号から構成されていたため、アルファベットのそれぞれに1つの記号を割り当てるのではなく、解読がより困難な1つのアルファベットに複数の異なる記号を割り当てる方法で作られていると推定した。
文章を解読するため、3人はAI(人工知能)を使って暗号を解くプログラムにかけてみた。ただし、このプログラムを作動させるうえで、元の暗号が何語かを指定する必要がある。暗号が最初に見つかった場所からと、ラスリー氏はイタリア語と予想した。しかし、プログラムが生成する数千種類の単語からは、識別可能な言葉が1つも見つからなかった。