その本の英語版を共同編集した料理史研究家のサリー・グレンジャー氏は、ロンドンのアテナエウムホテルでパティシエの責任者として5年間働いた後、古代史の学位を取得し、今は動画投稿サイトで古代ローマ帝国の料理を披露している。
5月のある晴れた朝、トルコのネザハット・ゴーキギット植物園で、グレンジャー氏とミスキ氏はフェルラ・ドルデアナの料理に挑戦するため、即席の野外キッチンを作った。
ミスキ氏は、ハッサン山のふもとから取ってきたばかりのフェルラ・ドルデアナを、グレンジャー氏に差し出した。切り口からは、まだ真珠色の樹液が滴っていた。グレンジャー氏は、オリーブ油を熱したフライパンに固まった樹脂を落とし、シルフィウムをベースにした簡単なドレッシング「ラセラタム」を作る作業に取り掛かった。独特な香りが辺りに漂った。

しばらくすると、ピクニックテーブルはグレンジャー氏の手によるローマ料理でいっぱいになった。一つひとつの料理は、フェルラ・ドルデアナで味付けしたものと、シルフィウムの代替香辛料として使われていたアサフェティダで味付けしたものと、2種類ずつ用意した。試食係は、植物園の園長と職員、ミスキ氏の学生たちだ。
好評だったシルフィウム・ソース
レンズマメを、ハチミツ、酢、コリアンダー、リーキで調理し、フェルラ・ドルデアナで味付けした一品は、複雑で味わい深いものだった。一方、アサフェティダの樹脂を入れた方を味見した人々は顔をしかめ、ほとんど皿に手をつけなかった。
すりおろしたフェルラ・ドルデアナの根を加えたズッキーニのソテーと、イカ団子のラセラタム・ソース添えも好評だったが、最も高い評価を得たのは、甘口のワインとプラムにたっぷりのフェルラ・ドルデアナを加えたラム肉用のソースだった。
「とても優秀な食材です」。ひと仕事終えたグレンジャー氏は、ピクニックチェアに腰かけて感想を述べた。「濃厚なソースでも、シルフィウムのフレーバーが果実や香辛料に隠れてしまうことがありません。青々とした風味があり、ソースに入っている他のハーブの特性を引き立ててくれます」
アサフェティダで作った料理は刺激が強すぎて、フェルラ・ドルデアナのほうがはるかに料理に取り入れやすく、古代ギリシャ・ローマの時代に失われたシルフィウムの有力候補になりうるとグレンジャー氏が考えているのは明らかだった。
ミスキ氏も、グレンジャー氏の実験結果に満足しているものの、フェルラ・ドルデアナの今後については懸念を抱いている。
「知られている限り、フェルラ・ドルデアナは、現在世界で600本しか存在しません」。そのうち300本は野生にあり、300本が植物園で種から育てられている。しかし、実を結ぶようになるまで数年かかるため「商品として供給するには今の1000倍ほどの量を育てなければなりません」という。
手に入らなくなってから2000年後に再び姿を現した伝説の植物は、またしても人間の食欲によって危機にさらされてしまうのだろうか。今のところ、その数は非常に少なく、フェルラ・ドルデアナは近絶滅種としての指定を受ける条件を満たしている。
「とても心配です」。ミスキ氏は焦燥感をにじませながら言った。「誰もが皆シルフィウム・ソースを作り始めたら、あっという間に足りなくなってしまいます」
(文 TARAS GRESCOE、写真 ALICE ZOO、イラストレーション NIRUPA RAO、訳 ルーバー荒井ハンナ、日経ナショナル ジオグラフィック)
[ナショナル ジオグラフィック 日本版サイト 2022年10月9日付]