その経験をもとに今年8月には女性起業家などへの出資、経営支援などを行う社内チームを設立した。1社あたり最大数千万円の支援を約10社に広げる計画だ。女性起業家は相談相手が少ない。取り組みを通じ、自分たちが「いい壁打ち相手になれれば」(瑞木さん)と考えている。
「どんな経験も無駄ではない」 主婦から社長へ
ハンバーガーチェーン「ドムドムハンバーガー」を運営するドムドムフードサービス社長の藤﨑忍さん(55)は「思いやり経営賞」を受賞した。

学生時代の夢はお嫁さん。短大卒業後すぐに結婚し、専業主婦がキャリアのスタートだ。人との縁がつないだ異色の経歴を武器に、壁にぶつかっても前向きに解決策を探ってきた。新型コロナウイルス禍の外食業界にあって21年度の業績は黒字を確保した。
藤﨑さんが初めて職に就いたのは39歳。政治家の夫が体調を崩し、家計を支えるためだった。友人の紹介でSHIBUYA109(東京・渋谷)にあるアパレルショップの販売員に。大家族で育ち、コミュニケーションは得意だ。経営者の思い入れを汲み、陳列の改善などを提案すると、売上高は2割伸びた。「ものすごく楽しかった」。入社10カ月後に専務を任された。
だが経営方針の変更からショップを退職。生計のため今度は新橋の居酒屋に入社した。このとき44歳。経営幹部から一転、アルバイトでの再スタートだが、自分に何ができるかを夢中で考えた。4カ月後、向かいのテナントに空きが出たと聞く。主婦の腕を生かし「お料理ならできるかも」。一念発起し、家庭料理を出す店を開業した。
店は繁盛した。藤﨑さんをドムドムに誘ったのは常連客のひとりだ。まずは掛け持ちの形でメニュー開発に参画。実績を残し、51歳で再び転職を決めた。
「どんな経験も無駄ではない」がポリシーだ。定番となった「手作り厚焼きたまごバーガー」や「丸ごと!!カレイバーガー」といった独創的な商品は、家庭料理店での発想から生まれた。
ドムドムに転職後には、会社の業績を見て、SHIBUYA109の店舗運営や居酒屋経営の経験から「このままではまずい」と直感。上層部に「意見を言える立場にしてほしい」と直談判し、18年に社長に抜てきされた。
社長就任後は「活躍する女性経営者」として扱われることが増えた。だが「偉くなったから『活躍』なのではない」と話す。アルバイトから経営者までより好みせず歩んだからこそ、どのステージにも活躍の場があると考える。
90年代のピーク時に400店近くあった店舗網は足元で27店に縮む。だが数字を追うよりも「社会から求められていることを着実に具現化することが優先」と話す。経営者として悩みや不安は尽きないが、経験に勝るスキルはない。「失敗したらやり直せばいい」と笑う。
双子の創業者と元専業主婦の社長。特色あるキャリアを持つ受賞者らだった。colyの中島杏奈さんは、大学卒業後に勤めた新聞社を1年以内で辞めた際のことを「上司に報告したらポカンとされた」と振り返る。
ドムドムフードサービスの藤﨑さんは経営幹部から一転、アルバイトになるなど山あり谷ありの経歴だが「スキルなんてないからこだわらない」。最後は自分の「思い」が決め手になっていたようだ。経営者としても社員や顧客の思いを尊重する姿勢が際立っていた。思いを大切にすることは、顧客だけでなく組織の結びつきも強くすると感じた。
(川崎なつ美)
[日本経済新聞朝刊2021年12月20日付]