毎日のようにデジタルに関する記事を目にする

毎日何十億もの写真、ニュース、歌、レントゲン写真、テレビ番組、通話、電子メールが「ビット」、すなわち 0 と 1 の組み合わせで表された数として世界じゅうに拡散される。電話帳、新聞、CD、手書きの手紙、それにプライバシーは、すべてデジタル以前の時代の遺物だ。

私たちはこのデジタル情報の爆発から逃れることはできないし、逃れたいと思う者もまずいない。それによってもたらされる数々の恩恵が、あまりにも魅惑的だからだ。デジタル技術は、比類なき革新、協力、娯楽、民主主義への参加を可能にした。

だが、それと同時に、その驚くべき技術によって、私たちの生活の細部までもが、ますます多くのデジタルデータとして捉えられるようになり、その結果、何世紀にもわたって私たちが抱いてきたプライバシー、個人情報、表現の自由、個人の管理に対する考えが打ち砕かれている。

世界を変えた「ビット」の真実

世界はいきなり変化した。ほぼすべてのものが、どこかのコンピューターに保存されている。たとえば、公判記録、食料品店での購入品、大事な家族写真、ハリウッド映画の貴重な傑作、つまらないテレビ番組。コンピューターには現在は有用ではないが、いつか役に立つかもしれないと誰かが思っているものも多く保管されている。

そして、それらはみな 0 と 1 のみ、つまり「ビット」で表現されている。それらのビットは家庭のコンピューター、あるいは大企業や政府機関のデータセンター内の「ディスク」にしまわれている。それらのディスクの多くはもはや回転する円盤状のものではなく、歴史的な理由で「ディスク」と呼ばれている、異なる種類のストレージ媒体だ。最近のディスクの大半は「クラウド」のなかだ。これはアマゾンといった大企業が所有していて、何かを保管する場所を必要とする人々に貸し出しているディスクのしゃれた名前と思えばいい。

ここでビットについての真実を提示したい。私たちがこれを「公案」と呼んでいるのは、それらは瞑想や悟りにつながる禅問答のような矛盾をはらんでいるからだ。次に示す公案は、極度の単純化であり、極度の一般化でもある。発展しつつあるが、まだはっきりとは姿を現していない世界を描いたものだ。だが、現時点においても、これらの公案は私たちが普段思っている以上に真実を突いている。以下で挙げる基本的な考え方は、デジタル爆発についての事例で繰り返し登場する。

●公案1-すべてはビットである

あなたのパソコンやスマートフォンは、なかに写真、手紙、歌、映画が入っていると、あなたを上手に錯覚させている。実際に含まれているのは、あなたには見えないかたちで組み合わされた大量のビットだ。あなたのコンピューターはただビットだけを保管するようにできていて、ファイルやフォルダー、さまざまな種類のデータは、コンピュータープログラマーがつくりあげた幻想にすぎない。

あなたが送った写真つきのメッセージがインターネットを流れていくとき、それを処理するコンピューターはどれも、自身が扱っているその情報の一部は文字データで一部は画像データであることなどまったくわかっていない。また、通話もビットにすぎず、それが競争の創出を促した。

つまり、従来の電話会社に加えて、携帯電話会社、ケーブルテレビ会社、IP電話サービス会社は、ビットをやりとりすればそれぞれのあいだでの通話を実現できるというわけだ。インターネットはあくまでビットを扱うようにつくられたものであり、ソフトウエア開発者が考案した電子メールや添付ファイルを処理するようにできていない。私たちはそうしたメールやファイルといった、より直感的に理解できる概念がなければやっていけないが、それらは見せかけにすぎない。表面下にあるすべては、ビットなのだ。