●公案2-完璧が当たり前

人間は間違えるものだ。古代の写字室や中世の修道院でこつこつと写本がつくられていた当時は、どの本にも写し間違いがつきものだった。コンピューターやネットワークでは、そういったことは起こらない。どんな複製も完璧だ。あなたが友人に電子メールで写真を送ったら、友人が受け取った写真が元のものよりもぼやけていることはない。友人の手元にある複製版は、見た目にはわからない細かいレベルまで元の写真と一致している。

完璧な複製が作成可能になった結果、法律が大きく変わることになった。音楽がオーディオテープで出回っていた頃、ティーンエージャーたちは曲をダビングしても訴えられなかった。なぜなら、そうした複製版は市販のものよりも音質が劣ったし、それに複製版をさらにダビングしたものはますます音が劣化していたからだ。今日音楽配信サービスを利用する人が増えているのは、入手できる曲の「複製版」が完璧だからだ。それは原盤や市販のものと差がわからないほど音質が優れているというよりも、「原盤や市販のもの」と「複製版」を区別するのが無意味なほど同一のものなのだ。「知的財産権」における「デジタルディスラプション」は、今なお進行中で結果は見えていない。

●公案3-十分あるのに欠けている

今日における全世界でのデータ保管量は膨大だが、2年後には倍増すると見込まれている。けれども、逆説的ではあるが、情報爆発とはオンライン化されていない情報の損失という意味でもあるのだ。あるいは、たとえ何らかの形式でデジタル化された情報でも、それを読み取れる機器がなければ何の役にも立たない。情報ストレージ工学の急速な進歩によって、使われなくなった旧式の機器に保管されたデータは、実質的には存在しないものとなっていった。たとえば、11 世紀にイギリスで作成された『ドゥームズデイ・ブック』をデジタル化した20世紀の「アップデート版」は、元の本のわずか60 分の1 の年月を経ただけで使いものにならなくなってしまった。

1086年に作成された世界初の土地台帳『ドゥームズデイ・ブック』.編集900年を記念して創られたデジタル版は、15年後には読み取れなくなってしまった(出典:『教養としてのデジタル講義』)

発展とオンライン情報の爆発に伴い、多くの人は情報を探すときに文献に当たったり友人に尋ねたりするよりも先に、まず検索エンジンに頼るようになった。企業にとって、検索結果の上位に示されるかどうかが死活問題になった。私たち消費者は探していたウェブサイトが結果の1、2ページ目に出てこないと、競合他社の商品を買いかねないからだ。また、私たちはインターネットの情報源ですぐに検索できない出来事は、起こらなかったと思いがちだ。つまり、検索結果が「すぐに」出てこないものは、存在すらしないに等しいのだ。

しかも、情報のなかには正しくないものもある。事実をやりとりしたり保管したりするための仕組みはすべて、偽情報に対しても有効だ。醜さや残酷さは、美しさや優しさと同じくらい容易にビットとして捉えることができる。誰もが「編集者」を必要としない「出版者」になれる社会では、情報の市場経済学は変化する。間違った情報、デマ、くだらない情報が、真実や美を駆逐してしまいかねない。権威主義的な社会のほうが、情報の自由という自らの原則が損なわれるのを恐れる自由社会よりも、ビットの流れをより効果的に管理できるのかもしれない。

×     ×     ×

ここでは、本書に示された7つの公案のうちの3つを提示した。ちなみに残り4つの公案は以下である。

●公案4-処理能力が力となる

●公案5-同じに見えてもまったく新たなものになるかもしれない

●公案6-何ひとつとして消え去らない

●公案7-ビットの動きは思考より速い

本書ではこうしたデジタルの特徴を押さえたうえで、デジタル成果物(プログラム、インターネット、SNS、AIなど)の仕組みや人々・社会への影響、および対処法(規制や検閲など)をひもといていく。私たちを覆うデジタル化の波を乗り越えるために、その危険性と可能性をしっかり把握することは、誰にとっても極めて重要な知見になるはずだ。

(日経BP 田島篤)

教養としてのデジタル講義 今こそ知っておくべき「デジタル社会」の基礎知識

著者 : ハル・アベルソン
出版 : 日経BP
価格 : 2,860 円(税込み)

ビジネス書などの書評を紹介
ブックコーナー ビジネス書などの書評はこちら