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岩岡寛人・鎌倉市教育長

岩岡寛人・鎌倉市教育長

35歳で神奈川県鎌倉市の教育長に就いた岩岡寛人氏(37)。全国で約1700ある市町村の中で数少ない40歳未満での就任だが、教育への情熱は中学3年で文部官僚を目指した時から燃やし続けてきた。岡山県内トップクラスの進学校、岡山白陵中・高(岡山県赤磐市)から東京大学教育学部に進み、国家公務員試験には一度失敗したものの、2回目の挑戦で念願の文部科学省へ。入省後、米カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の公共政策大学院に留学した経験を生かしながら、教育行政に新しい風を吹き込んでいる。

明治から昭和前期まで日本のエリート養成の場となった「旧制高校」。その伝統を継承しようと設立された岡山白陵中高の厳しい規律の中で鍛えられた。東京大学に入学後は一転して自由を謳歌した。

東大は1、2年は目黒区駒場の教養学部に所属してリベラルアーツを幅広く学び、3年から専門科目を学びます。中高の6年間、岡山の山の中で仙人のような暮らしをしていたので、駒場時代は大学生活を思い切りエンジョイしました。中高でバレーボール部だったので大学でもバレーボールサークルに入り、男子チームでプレーしながら女子チームのコーチもしていました。そこで今の妻とも仲良くなりました。

幅広い学びとバレーボールに打ち込んだ2年間が終わり、さあ、これからは文部官僚を目指して本格的に教育の勉強をするぞと勇んで教育学部に進みましたが、実際は学部の勉強どころではありませんでした。大学受験の時点では「教育行政に携わるのだから教育学部が一番いいはず」と思ったのですが、国家公務員試験に受かるためには憲法や民法、行政法、労働法など法律の勉強をしなければならず、教育学部生には非常に大きなハードルだったのです。官僚になることだけを目的とするなら法学部に行くべきだったとようやく気づきましたが、後の祭りです。

しかも公務員試験の予備校にも行かないというむちゃをし、自分の首を絞めてしまいました。中学受験も大学受験も塾には行かなかったので、公務員試験も塾に行かずに受かるだろうと甘く見ていたのです。その結果、1年目は不合格でした。でもそこから予備校に行くのも悔しいと思い、結局、2年目も独学を貫いて、なんとか合格することができました。

官庁訪問では第1希望から第3希望までの省庁を1日ずつ訪問するのですが、私の場合、文科省しか考えていなかったので困りました。2日目は一応、職業教育をやっている厚生労働省を訪問したものの、面接担当者からは「あなたはどう考えても教育をやりたいんですよね。頑張ってください」と言われました。もし文科省に採ってもらえていなかったら、どうなっていたのだろうと思います。

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