人力で爆薬を運ぶという案もあったが、すぐに却下された。ジャガー氏は米軍に上空から爆弾を投下してくれるように依頼した。依頼してから4日後の12月27日、米軍は10機の複葉機を2つの目標地点に飛ばし、600ポンドの破壊用爆弾Mk Iを投下した。

1936年1月2日、溶岩の流れが止まり、ヒロは再び難を逃れた。ジャガー氏は、これは爆撃の直接的な成果だと宣言したが、パイロットや地質学者の中には懐疑的な意見もあった。いくつかの爆弾は目標を外れていたし、命中した爆弾も、ジャガー氏が期待したような地形の変化は起こしていないようだった。まったくの偶然ではあるが、爆撃の前後に溶岩の噴出ペースが低下しており、溶岩流の停止は、単純にこれで説明できた。

1942年4月。マウナロア山に対する爆撃は、第2次世界大戦中にも行われた。このときは、敵の飛行機の目標にならないように、溶岩流や爆弾の光を消すことが重要視された。USGSアラスカ火山観測所の地球物理学者であるハンナ・ディートリック氏によると、この爆撃も前回と同様、溶岩流には大きな影響を与えなかったようだ。強力な爆弾も、溶岩の力には勝てない。

だがそれから50年後、地球の反対側で火山災害に対応していた人々は、爆弾にもう一度チャンスを与えることにし、それなりの成果をあげることができた。

「作戦は成功しました」

イタリアのシチリア島にあるエトナ山は不安定な火山で、ほぼ絶え間なく活動している。近年も2013年9月から噴火を繰り返しており、今年も何度か空高く溶岩を噴き出しているが、基本的には被害は出ていない。

1994年にスペースシャトル「エンデバー」のレーダーがとらえたエトナ山の山頂(PHOTOGRAPH BY NASA, JPL)

1991年から1993年にかけてのマグマ噴火は「過去350年間のエトナ山の噴火の中で、最も長く続き、最も大量の溶岩が噴出しました」とイタリア国立地球物理学火山学研究所の火山学者ボリス・ベーンケ氏は語る。その溶岩は人口9500人のザッフェラーナ・エトネアの町を脅かし、当局は解決策を模索した。

ここで参考になったのが、エトナ山が1983年に小規模な噴火を起こしたときに試された溶岩流の爆破だった。同年の噴火では、溶岩流が一部の農地を覆い、近くの町に迫った。これを溶岩の流れを変える実験のチャンスととらえた当局は、世論にも後押しされて、爆薬の使用を決めた。

正確を期すため、技術者たちは徒歩で爆薬を仕掛けに行き、溶岩流路の横に掘った小さなトンネルに詰めた。しかし、溶岩に熱せられたトンネルは白熱しており、「技術者たちは、そんなところに爆薬を入れたら早々に爆発してしまうのではないかと心配しました」とベーンケ氏は言う。そこで、トンネル内に水を注入して冷却したところ、激しい温度変化によって溶岩流路が変形して側面から溶岩が漏れ出し、爆薬を仕掛ける前に流れが変わってしまった。

結局のところ、1983年の実験は失敗に終わっていた。爆破によって危険のない新しい流路はできたものの、溶岩が進む方向はあまり変わらず、しかも開口部はすぐに閉じてしまった。しかしこの実験のおかげで、当局は約10年後の緊急事態に適切に対応することができた。

1991年にエトナ山が再び噴火したとき、溶岩流を止めるために土塁が造られたが、すぐに乗り越えられてしまった。1992年の春には「表面の溶岩は冷えて固まり、多くの溶岩が溶岩チューブの中を流れるようになっていました。これは溶岩流の優れた存続メカニズムです」とベーンケ氏は言う。

人々に助けを求められた米軍はまず、爆弾ではなくコンクリートブロックを選択した。数機のヘリコプターが溶岩チューブの天窓の上空からブロックを落として流れをせき止めようとしたが、失敗に終わった。

そこで1992年5月、技術者たちは1983年と同様の方法を試すことにした。まずは、勇敢なダンプカーの運転手が、溶岩で覆われた山を登るための比較的安全な道を作った。その後、作業員たちが溶岩チューブの側面に穴を掘り、合計7.7トンの爆薬を仕掛けた。このときには爆薬を仕掛けるべき場所を正確に把握できていたので、期待通りの結果が得られた。

「彼らは大量のダイナマイトに火をつけて、すべてを吹き飛ばしました」とベーンケ氏は言う。

ほとんどの溶岩は人工的に掘った溝に流れ、そこで冷えて固まった。数時間後、ザッフェラーナ・エトネアを脅かしていた溶岩流は止まった。「作戦は成功しました」とベーンケ氏は言う。その後、エトナ火山の噴火も落ち着き、町は安全を取り戻した。

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爆撃すべきか否か?