カイロ近郊のギザにあるヘテプヘレスの墓の内部。1926年1月にジョージ・ライスナーが初めて見たとき、墓の中は副葬品でいっぱいだった。流れ込んだ水によって、その多くが激しく損傷していたが、一部はのちに復元された(MUSTAPHA ABU EL-HAMD/MUSEUM OF FINE ARTS, BOSTON)
ライスナーは埋葬室と副葬品について次のように述べている。「大きな天蓋の金で覆われた柱と梁(はり)が20本ほど、石棺の上や後ろに転がっていた。石棺の西側の縁にはファイアンス(古代エジプトの施釉[せゆう]陶器)がはめ込まれた金の板が数枚敷いてあり、床には金箔を貼った家具が乱雑に置かれていた」(ALAMY/ACI)

ライスナーは、大西洋を隔てたエジプトの発掘チームと電報を使って連絡をとるなど、当時の先端技術を駆使していた。だが、彼は別の意味でも現代的だった。カーターがツタンカーメンの墓を発見したときの騒ぎを見て、広報の力を強く意識したのだ。新たに見つかった未盗掘の墓(公式には「G7000X」と名付けられた)を再び封印するようにライスナーが命じた理由はいくつかあるが、発掘調査のすべてを引き受けられる人間は自分しかいないという自負もその一つだった。

ライスナーは自分がエジプトに行くまで発掘を止めることで、世間での語られ方もコントロールすることができた。その過程で重要な役割を果たしたのがメディアとの関係だった。

ライスナーのチームは米国の報道写真家に撮影を許可し、みずから情報を漏らすことで、新発見に関する記事をロンドンの新聞に掲載させた。この墓は第4王朝時代の創始者であるスネフェル王のものではないかという臆測が飛び交ったが、ボストンにいたライスナーは、墓は王族の女性のものだと反論した。

ヘテプヘレスの墓で発見された黄金のハヤブサは現在、カイロのエジプト博物館に収蔵されている(SCALA, FLORENCE)

ライスナーの米国での仕事のため、G7000Xの発掘の再開は1926年1月までずれ込んだ。ついに石棺のある部屋に入ったライスナーは、金箔を貼った家具が水による損傷を受けていて、崩れてしまうのではないかと心配になるほどひどい状態であることを知った。木片や象嵌(ぞうがん)細工の破片を回収するのは、繊細で骨の折れる作業だった。

部屋からは、天蓋とベッドのほか、現存する世界最古の椅子のひとつと言われる肘掛け椅子と精巧な輿(こし)も回収された。輿には「ヘテプヘレス」という名前が刻まれており、この墓に葬られた人物は女性であるというライスナーの考えを裏付けていた。ヘテプヘレスはスネフェル王の妻であり、ギザの大ピラミッドを建設したクフ王の母だ。彼女の墓は4000年以上もの間、大ピラミッドの陰に隠れていたのだ。

行方不明の遺体

復元されたヘテプヘレスの肘掛け椅子は、木材に金箔を貼ってファイアンスをはめ込んだもので、パピルスにハヤブサがとまっている装飾が施されている(ALAMY/ACI)

ヘテプヘレスの石棺は1927年3月に開けられたが、遺体は入っていなかった。遺体に何が起きたのか、歴史家たちは現在も議論を続けている。ライスナーは、ヘテプヘレスはもともとダハシュールにあるスネフェル王の墓の近くに埋葬され、その後クフ王がギザに新しい墓を作ったが、遺体はそこに移されなかったのではないかと考えていた。他にも、大ピラミッドのふもとにある小さなピラミッド「G1a」に埋葬されたのではないかとする説もある。

発掘後、肘掛け椅子は修復され、現在はカイロのエジプト博物館に展示されている。1942年にライスナーが死去すると、G7000Xから見つかった破片に再び関心が集まり、膨大な作業の末に、金色に輝く別の精巧な肘掛け椅子も復元された。この椅子は現在、米国マサチューセッツ州ケンブリッジにあるハーバード大学古代近東博物館に収蔵されている。

(文 IRENE CORDON、訳 三枝小夜子、日経ナショナル ジオグラフィック)

[ナショナル ジオグラフィック 日本版サイト 2022年4月7日付]