「ありきたり」を避けて、個性磨く

そもそもなぜ、3種や5種ではなく、4種だったのか。種類の多さを印象づけるには5種のほうが効果的で、厳選したフレーバーとして押し出すには3種でもいいはずだ。

ルックは期間限定商品のバリエーションが多い

「当時の資料が少なくて不明な点も多いのですが、すでに主力の板チョコで大手がひしめき合っている中で、独自の路線をとるしかなかったのではないかと考えています」と菊池氏。2020年に創業110年を迎えた不二家は、菓子事業に関してはオーソドックスな路線から少し外れた、独自色の濃い商品が多い。

不二家の創業は1910年にさかのぼる。横浜市内で古物商として働いていた藤井林右衛門が外国人居留区に近い元町で洋菓子店を開業したのが始まりだ。同年にはクリスマスケーキを発売していたという。

開店から2年後の12年に渡米。洋菓子がおしゃれな店で売られていることに感銘を受け、帰国後はソーダ水を提供する喫茶室を設けるなど、今の「不二家レストラン」などにつながる喫茶・飲食部門にも乗り出す。

当時はシュークリームやショートケーキが人気となったという。23年8月には東京・銀座にも店舗を構えた。同年9月1日の関東大震災では全店舗がほぼ焼失する大きな被害を受けた。だが、翌24年には銀座店や伊勢佐木町店(横浜市)をバラック建てで再開。以後は東京都内を中心に洋菓子と喫茶店・食堂の展開を本格化した。

当時のチョコ事情はどうだったか。日本では森永製菓の創業者である森永太一郎が1899年に「森永西洋菓子製造所」を設立。1918年には原料のカカオから一貫製造する国産第1号のチョコ「森永ミルクチョコレート」を発売した。

不二家の公式ホームページによれば、チョコ商品の開始は35年の「ハートチョコレート」となっている。ちなみに不二家の人気キャラクター「ペコちゃん」の誕生は50年、看板商品の1つである「ミルキー」の誕生は51年だから、チョコ製品はペコちゃん、ミルキーよりも「先輩」にあたる。

ハートチョコレートはハート形という、他社にはないデザインで作り、商標も登録した。ほかのチョコレートでも、駄菓子店で昭和の子供たちが愛した「パラソルチョコレート」(54年発売)がある。こちらも見た目が「技あり」だ。

独自路線を選ぶのは、不二家の流儀とも映る。たとえば、代名詞的存在のミルキーは色が真っ白な点や食感がやわらかい点で、キャラメルともキャンデーとも別物だ。ソフトな食感の「カントリーマアム」(84年)は「固くてサクサク」というクッキーの常識を覆した。飲料でも不二家は「ネクター」(64年)が有名だ。

ルックもほかの不二家商品と同じように、常識やセオリーから少し外れた部分でユニークな強さを発揮し、その持ち味がロングセラーにつながっている。「独自路線を貫き、ファンを獲得して、長寿商品に育てる」。これが不二家流といえるのかもしれない。

(ライター 三河主門)