焼肉、焼き魚へ広げた、ぽん酢の「出番」

67年に申請した味ぽんの商標は、74年になって正式に登録された。79年からは味ぽんの名称で販売されていき、現在と同じ白と黄色が基調のラベルに、赤い文字で商品名が表示されるようになった。

商標を得たからといって急に売れ出したわけではないようだ。「74年の商標登録から82年ごろまではじわじわと徐々に浸透していったと聞いています。その間はミツカンも鍋で使う調味料として消費者に訴求していましたが、83年から用途を鍋以外にも広げることを考えるようになりました」(掛田さん)

ミツカンは83年から、味ぽんで「おろし焼き肉」を食べようと提案するテレビCMを、京阪神地区と四国で始めた。これには2つの意味合いがあった。

第一に、味ぽんの使い道を鍋以外にも広げること。第二に、冬場が主戦場である味ぽんを、1年中楽しめる焼き肉に使ってもらうことによって、年間販売が可能な商品にしようと考えたのだ。夏場のシンボル的なメニューとして新たな「相棒」として選ばれた料理が家庭で楽しむ焼肉だった。

当時、すでに家庭での焼き肉は一般化しつつあった。80年代後半に入って電気ホットプレートの普及率が5割を超えたことも追い風になっただろう。焼き肉を家庭で食べる文化を広めたエバラ食品工業が「焼肉のたれ」を発売したのが68年で、それから10年後の78年には「黄金の味」を投入してヒットさせていた(関連記事「『家庭で焼き肉』の文化広めた エバラ『黄金の味』」)。

味ぽんを入れた大根おろしで焼き肉を食べるというアイデアは、かんきつ系特有のさわやかな食味が「体にも良さそう」というイメージと相まって、支持を広げていった。ただ、消費者の側が進んで使い方のバリエーションを広げていた事情もあるようだ。

「味ぽん」の活用バリエーションは格段に広がった

「ミツカンが味ぽんを鍋用調味料として売っていた間に、いろいろな使われ方をしていることが調査で分かったそうです。焼き肉やギョーザもそれらの一つでした」と、掛田さんは当時の背景を語る。

ミツカンは83年からの新しい用途の提案を「つけかけ調味料としての提案時代」と呼ぶ。その頃からテレビCMなどの広告媒体を通じて、様々なメニューへの活用を提案していったからだ。家庭の食卓メニューが洋食や中華を取り込んで、厚みを増していくのに伴走するかのように、つけかけ調味料としての選択肢も広がっていった。

具体的な商品としては「焼肉味ぽん」「サラダ味ぽん」「おろし味ぽん」などを相次いで投入。メニューでは89年から「焼きギョウザ」「おろしハンバーグ」「ブリの塩焼き」を、95年からは「カツオののっけ盛り(カツオのたたき)」、2000年には「サンマの塩焼き」を、味ぽんに合わせる提案を打ち出した。こういった提案が受け入れられ、味ぽんは鍋物シーズンにとらわれず、しょうゆや塩と並んで、通年で食卓に置かれ続ける「常連調味料」の仲間入りを果たした。

家族団らんのイメージを醸し出すテレビCMで「おうちで鍋料理」のカルチャーを広めた味ぽん。しかし、家族それぞれの生活時間帯が異なるようになり、献立の国際化が進んだこともあり、家庭での食事風景が様変わりしていったことを背景に、味ぽんの役割も多様化した。健康志向の高まりはさっぱり風味の味ぽんに新たな出番を用意した。くせが強すぎず、相性の懐が深いという「しょうゆでもない、酢でもない調味料」は、あらゆる料理に寄り添うオンリーワンのポジションを確立しつつあるようだ。

(ライター 三河主門)