踏み切った返済繰り延べ 学びで経営立て直し

東京・新宿でのデビューから、わずか3年でニューヨーク進出を果たしたゴーゴーカレーだったが、内部にひずみをためこんた状態での急成長だった。2000年代に入ると、様々な課題が経営を揺さぶり始めた。

創業時の突貫工事に象徴されるような頑張りで店舗数を増やしていったが、「気あいと根性だけではどうにもならないとわかった。そもそも経営の何たるかを、それまでちゃんと学んでこなかった」と、宮森氏は振り返る。財務や人事など、企業経営の柱ともいうべき事柄に知見が不十分で、課題を抱えた。急速な出店ペースに、人材育成が追いつかなかったことも響いた。

売り上げの伸び悩みや貸し付けの未収金発生などが続き、経営が行き詰まりを見せ始めた。ニューヨーク進出を果たした翌08年に起きたリーマン・ショックでマネーの景色は一変。勢いに任せた「イケイケ」を許す空気は消えていった。とうとう14年には「金融機関へ返済猶予(リスケジュール)を求める事態に至った」(宮森氏)。債権者に向けた説明会を開き、宮森氏は矢面に立たされる。

創業者の宮森宏和ゴーゴーカレーグループ(東京・千代田)社長

リスケを受け入れた金融機関の担当者からは「返済猶予を選んでも、9割の事業者は再建がかなわない」と言い渡された。資金繰りが苦しくなり、新規出店が難しくなった。店舗数を増やすことによって、売り上げと利益を積み上げてきた成長のしくみにブレーキが掛かった。

創業以来、最大ともいえる経営危機を救ったのは、レトルト商品の発売だった。大塚食品が1968年に世界初の市販用レトルトカレーの「ボンカレー」を発売して以来、カレーはレトルト食品の代名詞的な存在だ。しかし、宮森氏は「レトルトはアルミパウチに詰めれば出来上がりというしろものではない。奥が深い」と言う。

もともと経営危機をしのぐためにレトルト商品を開発したわけではない。「ずっと前から準備を進めていた」(宮森氏)。開発に時間を要したのは、宮森氏のこだわりの強さが大きい。自分の舌で味をしっかり感じ取れる自称「ベロメーター」は宮森氏の自慢。長年、金沢カレーを食べ続けてきた経験知も相まって、「判断基準には自信がある」という。

危機を招いた一因といえる、企業の骨組みにも踏み込んで、「第2の創業」に取り組んだ。「ビジョンがあいまいで、経営実務のスキルも足りなかった」と、宮森氏は素直に認める。

必要に迫られて、その都度、付け焼き刃的に知恵をつぎはぎするのではだめだと気づいた宮森氏は、経営を本格的に学び始めた。「経営塾に通い、セミナーを受講した」(宮森氏)。

多くの学びを重ねた今、宮森氏が率いるゴーゴーカレーグループのビジネスモデルは様変わりしつつある。公式ホームページの「事業内容」欄に書かれているのは「カレーの専門商社」だ。祖業だった「カレー店のチェーン展開」はかっこ内に書き添えられている。後編では宮森氏が得た経営の学びと、「世界一」を狙う新ビジネスモデルに迫る。