小学校までは自己肯定感が低かったというが、ある先生の言葉が支えになった。

私は幼いころのある出来事がきっかけで、自分は悪い子だと思い込んでしまい、自己肯定感の低い子どもでした。でも中1から高3まで学年主任をしていただいた社会科担当の木村先生という方が繰り返し「君たちは、自分はこういう人間だと思い込んだり、自分を小さな枠に当てはめて考えたりするクセがあるけれども、人間というのはいつでも、どのようにでも変わることができるんだ。特に中高生くらいの年齢であれば、悪いところも努力すれば必ずなおすことができるし、いいところをどんどん伸ばして、自分がなりたい自分になることができる」とおっしゃっていたことが、私にはとても響きました。

ですから中高時代は自分がダメだと思う点を紙に書き出し、机に貼って、常にそれを意識するようにしていました。意識する回数が増えれば、絶対に変われるはずだと信じたのです。意志が弱くてすぐ誘惑に負けてしまい、勉強に集中できないのがコンプレックスでしたが、紙に貼って意識するようになってからは、3時間続けて勉強できないのなら30分に細切れに区切ってみるとか、いろんな工夫をするようになりました。あの木村先生のおかげで、自己肯定感が低かった私も、工夫と努力次第で良い人間になれるのだと自信を持てるようになった。このことは私の人生における大きな転換点になったと思います。

中3の時点で将来は「文部官僚になる」と心に決めた。岡山白陵の学習面のサポートは万全で、塾に行くことなく東大に現役合格した。

両親は医師でしたが、「医者にはなるな」と言われていました。今は医師を取り巻く環境も変わったと思いますが、当時は医師余りの時代が来て処遇も悪くなると言われていて、医療過誤などによる訴訟のリスクなどを考えて、親としては薦めたくなかったようです。じゃあ医師以外で自分は何になりたいかと考えた時に浮かんだのが、文部官僚でした。

自己肯定感が低かった私には、「いいことをたくさん積み重ねていい人間になりたい」という強迫観念のような思いがあり、とにかく人の役立つことをしたい、しかも役に立つ度合いをなるべく大きくしたいと思っていました。最初に考えたのは、地球温暖化を解決する装置を作ることでした。でも成長していくうちに、世の中には温暖化以外にエネルギーや貧困、教育などさまざまな解決すべき課題があると気づき、「『いろんな課題を解決する人』を育てる仕事をしよう」と思ったのです。もちろん人を育てるという意味では学校の先生もすてきなのですが、教育行政に関わる方がより幅広く影響を及ぼせるのではないかと考え、文部省(当時)の官僚になろうと決心しました。

当時、岡山白陵は「塾に行く必要はない。学校の授業をしっかり聞いて、予習復習をちゃんとやっていれば東大に行ける」という考えで学習指導がされていて、毎年180人中20人前後が東大に合格していました。私も学校の勉強だけで東大文科三類に受かり、教育学を勉強するのが文部官僚への近道と意気込んでいました。でも実際、東大に入ってみるとその選択が間違っていたことに気づきます。後半ではそのあたりの話と、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)留学で学んだこと、そして今、教育長として取り組んでいるについてお話しします。

(ライター 石臥薫子)

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