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『ダディ・ロング・レッグズ』ジャーヴィス役の井上芳雄(写真提供:東宝演劇部)

同じ作品だけど、違う物語を演じているような気持ち

ジョンは、同じ作品でも再演のたびに変えて、そのタイミングでやるのにふさわしい演出をつけます。今回はジルーシャ役が萌音さんに代わったので、セリフのニュアンスや意味を再確認する作業を重ねました。ジルーシャとジャーヴィスの関係性も見直されました。2人はすごく年齢が離れた設定なのですが、真綾さんと僕は同い年なので、それを生かした形で、遠慮がないというか、年の差はある設定だけど対等な2人という感じでやっていたと思います。でも萌音さんと僕は本当に年の差があるので、対等というよりは、僕がより大人として彼女に接する感じになりました。

ジョンが言った言葉で、僕もそうだなと思ったのは「ジャーヴィスがジルーシャにひかれていくタイミングを、もうちょっと後にしてみよう」。今までは、1幕の半ばくらいから彼女のことが気になってしょうがなくて、時には焼きもちを焼いて、みたいな態度でした。そのポイントをもっと後ろにすることで、ジルーシャに興味を持っている自分を感じてはいるけど、たくさん支援している子供のうちの1人なのだから、そんなはずはないとも思って、自分にいらいらしているという様子になっています。やっぱり相手役が違うと、役のキャラクターや仕草も変わってくるし、それをジョンがちゃんと演出してくれているのはうれしいな、と思いながらやっています。

真綾さんと萌音さんは持ち味が全然違うので、稽古の最初のころは、僕自身も戸惑いました。真綾さんとはもう100回以上やっていると思うので、ジルーシャはそういうものだと思っていたのですが、萌音さんは当然のことながら全然違うアプローチで来ます。最初のうちは、「あれっ? 同じ人物なのに全然違う言い方をする!?」と違いが気になったのですが、それは受け止める僕の問題なので、前と同じようにやったのではだめだということに稽古の序盤で気づきました。だから、萌音さんのジルーシャに一番ふさわしいジャーヴィスになることが今回のチャレンジで、見てほしいところでもあります。

真綾さんと萌音さんで何が違うかというと、まず声が違います。抑揚も違えば、高さもタイミングも違います。この作品は手紙を読んでいるシーンが多いので、役者がやっていることって、自分のセリフの時以外は実はほとんど声を聞いているだけです。面と向かってセリフを交わすのは本当に数カ所だけ。ずっと相手の声を聞いているので、公演を重ねると、声だけでその日の調子が分かるようになります。そのあうんの呼吸は、お客さまの前で演じることで生まれるものなので、本当の意味で萌音さんと息をあわせていく作業は始まったばかりです。

2人の持ち味の違いは、ジルーシャのキャラクターにも表れています。ジルーシャはとても頭がよくて、ユーモアもあるし、結構辛辣なことも言います。今思うと、真綾さんのジルーシャはシニカルなところが持ち味として出ていたのかなと。一方、萌音さんは、本人が菩薩(ぼさつ)のようなというか、とても柔らかな人なので、それが出ているように思うし、とても利発なジルーシャでもあります。自分でどんどん学んでいって、いろいろなものを獲得していく。真綾さんのシニカルだからこそ真っすぐ進める強さを持っている感じとはまた違って、本当に真っすぐに突き進んで、変わっていくという感じでしょうか。同じ作品だけど、違う物語を演じているような気持ちになります。2人芝居だから余計そう感じるのかもしれません。

僕が演じるジャーヴィスのありようも変わっています。この作品はコメディーの要素もあるので、ユーモラスなところは誇張してやっていたし、そういう演出でもあったのですが、今回はジョンの演出の方向性がすごくリアルになりました。僕もそう演じたいと願っています。年齢を重ねて、よりジャーヴィスの気持ちが分かるようになったというか、そんなに大きく演じなくても伝わるんじゃないかという、ある種の自信もあります。

『チャリティー』というジャーヴィスのメインの曲があります。援助することの難しさを歌っていて、それゆえにジルーシャに思いをちゃんと伝えられなかった自分を悔やみます。今回ジョンからは、「後悔しながらも人生は続いていくのだし、ジルーシャのことはきっぱりあきらめて、もう大丈夫と自分に言い聞かせるように歌ってみたらどうだろうか」と言われました。僕も、そのほうがリアルだなと。ただ悲しみに浸っているのではなく、1人の大人の男性として、彼女のことは忘れて頑張ろうというふうに歌った方が、より悲しさが伝わりますよね。そういう変化が随所にあるので、演じていて面白いです。

ジャーヴィスは、僕が一番長くやらせてもらっている役です。僕は、役にはあまり執着しないようにしていて、何か1つの役を自分のものだと言って長くやろうとは思わないようにしています。でもジャーヴィスの役に関しては、何回やっても終わりが見えないし、相手役が変わればこんなにも違うということも分かったので、やれる限りはやり続けたいという思いが強いですね。

1人でも多くの人に作品を知ってほしい

今回は稽古期間が短くて、初めて参加した萌音さんに負担をかけてしまい、申し訳なかったです。萌音さんとは『ナイツ・テイル』や『組曲虐殺』でも一緒にやらせてもらっていて、信頼関係もあると信じているので、きっとすてきなジルーシャを生み出してくれるだろうという気持ちです。もともと素晴らしい女優さんでしたが、どんどん活躍の場を広げて、今や国民的な女優さんになったと思うのですが、ご本人は全然変わりません。本当に謙虚で、「もっと、もっと頑張ります」と言いながら毎日稽古に取り組んでいて、あらためて年の差は関係なく、尊敬できる女優さんだと思いました。やればやるほど2人の『ダディ~』ができあがっていくでしょうから、それを積み重ねるのが楽しみです。

もちろん真綾さんも辞めたわけではないので、またやりたいねという話はずっとしています。今後の『ダディ~』がどうなっていくかは分かりませんが、真綾さんが帰ってくるのを待っていますし、今回新しいジルーシャができて、いずれ新しいジャーヴィスが生まれる可能性もあるでしょう。10年やってきて、「ああ、戻ってきた」という安心した思いと、「今回はどうなるかな」というドキドキした思いの両方を抱えながら、毎回やっています。いい意味で安定していないというか、それだけ奥の深い話でもあるし、それが僕たちのやりがいにもつながっています。やってもやっても、もっと違うことができると思わせてくれる希有(けう)な作品です。とにかくいい作品なので、1人でも多くの人に知ってほしいと願っています。

『夢をかける』 井上芳雄・著
 ミュージカルを中心に様々な舞台で活躍する一方、歌手やドラマなど多岐にわたるジャンルで活動する井上芳雄のデビュー20周年記念出版。NIKKEI STYLEエンタメ!チャンネルで月2回連載中の「井上芳雄 エンタメ通信」を初めて単行本化。2017年7月から2020年11月まで約3年半のコラムを「ショー・マスト・ゴー・オン」「ミュージカル」「ストレートプレイ」「歌手」「新ジャンル」「レジェンド」というテーマ別に再構成して、書き下ろしを加えました。特に2020年は、コロナ禍で演劇界は大きな打撃を受けました。その逆境のなかでデビュー20周年イヤーを迎えた井上が、何を思い、どんな日々を送り、未来に何を残そうとしているのか。明日への希望や勇気が詰まった1冊です。
(日経BP/2970円・税込み)
井上芳雄
 1979年7月6日生まれ。福岡県出身。東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。大学在学中の2000年に、ミュージカル『エリザベート』の皇太子ルドルフ役でデビュー。以降、ミュージカル、ストレートプレイの舞台を中心に活躍。CD制作、コンサートなどの音楽活動にも取り組む一方、テレビ、映画など映像にも活動の幅を広げている。著書に『ミュージカル俳優という仕事』(日経BP)、『夢をかける』(日経BP)。

「井上芳雄 エンタメ通信」は毎月第1、第3土曜に掲載。第122回は9月3日(土)の予定です。


夢をかける

著者 : 井上芳雄
出版 : 日経BP
価格 : 2,970 円(税込み)