
イングランドの商業の中心地であり、歴代の君主たちが居を構えてきた首都ロンドン。長年の間、想像を超える富に恵まれた上流階級が特権的なライフスタイルを享受してきた街でもある。宮殿であれ宝飾品であれ、そのきらびやかな所有物はきわめて貴重で、失われたり首都の地下に捨てられてしまったりすることはめったになかった。ということは、研究熱心な現代の考古学者が掘り当てたレアな遺跡や財宝はことのほか価値あるものに違いない。
ここでは、そんなロンドンの地下から見つかったお宝3選を紹介しよう。その昔、ロンドンの上流階級がどのような暮らしをしていたのかをうかがい知ることができるものばかりだ。
プラセンティア宮殿
ロンドンの中心部から南東へ向かってテムズ川を下ると、18~19世紀にかけて海洋帝国イギリスの心臓部だったグリニッジ地区へやってくる。ここには、ヘンリー7世(在位1485~1509年)が、1499年に60万個のレンガを購入して建てたプラセンティア宮殿があった。
宮殿は王室の遊び場として、あらゆる道楽と不道徳が許される場所であったが、1663年に取り壊され、跡地に海軍のための王立病院が建てられた。後に病院は王立海軍大学となり、現在はグリニッジ大学になっている。
1970年、旧王立海軍大学の地下探査が実施され、宮殿の大塔だった長方形の床部分が発見された。床には、釉薬(ゆうやく)が塗られた黄色と緑色のタイルが敷き詰められていた。2006年には、大学のクイーン・アン棟の下で排水溝を掘っていると、古い王室チャペルと、格子柄のフランドル式タイルに行き当たった。チャペルは完全な状態で残されていた。
11年後、今度は旧王立海軍大学の建物のひとつである「ペインテッドホール(絵画の大広間)」を修復中に、埋もれた部屋が見つかった。黄、黒、濃緑のタイルが敷かれた床の下には、2つのアーチ天井の地下室があった。チューダー朝の調理場、パン焼き場、醸造所、洗濯室だったとみられる。

さらに、宮殿に接するテムズ川沿いでも、最近になって興味深い発見があった。宮殿専用の船着き場があり、その周囲から、イノシシ、子ヒツジ、ニワトリ、ウシの骨やカキの貝殻が出てきたのだ。475年前のヘンリー8世の時代、豪華な晩餐(ばんさん)を準備した宮殿の調理場から捨てられたものだ。
おそらくここでの最も大きな発見は、2020年にグリニッジ大学のサイモン・ウィザース氏によってなされたものだろう。先進的な技術を駆使して地下深くに隠された文化遺産のデジタルモデルを構築するウィザース氏は、地中レーダー探査によってヘンリー8世の馬上槍(やり)試合に関連する塔を発見した。八角形をしたこの塔のすぐそばで、王は1536年に瀕死(ひんし)の重傷を負っていた。
「地中レーダー探査のおかげで、クイーンズ・ハウスの青い芝生の下に積み重ねられてきた過去の面影を、一枚一枚、一年一年めくって見ることが可能になりました」と、ウィザース氏は話す。
技術は日々進歩を続け、今や直接触れることなく地下に隠されたものを地図化できるようになっている。

ウィンチェスターパレス
宮殿は、王や女王のものだけとは限らない。グリニッジから上流へ約10キロメートルさかのぼったサザークに、巨大な壁だけが残るロンドン随一の遺跡がある。壁の高い位置に作られた美しいバラ窓が見下ろすのは、中世に建てられたウィンチェスターパレスの跡だ。
19世紀の埠頭と倉庫が解体された後、1983年から大々的に発掘が行われ、ウィンチェスターパレスの残存部分が調査された。その下からは、派手な色のフレスコ画が壁に描かれたローマ時代の浴場も見つかった。考古学と歴史の潤沢な調査が、700年前のエリートたちの暮らしぶりを見せてくれる。