スチーマーの開発・改良で売り上げ急伸

持ち帰り販売が振るわなかったのを受けて、二郎氏が考え出したのが、店頭でアツアツ、ホカホカの肉まん・あんまんを食べてもらう手法だった。店頭で蒸し上がった状態で売ってもらえば、冬場にぬくもり感をアピールしやすいという思惑もあった。

68年に最初のスチーマーが完成した。灯油を使って湯をわかし、肉まん・あんまんを蒸す構造だったという。ただ、灯油を使うのには、危険が伴うのに加え、「灯油のにおいが商品に付いてしまう」というクレームもあったそうだ。

1971年に開発した電気スチーマーの1号機

そこで電気スチーマーの開発を急いだ。店頭にも置ける、小型で扱いやすい電気スチーマーが完成したのは71年。店頭に置いた電気スチーマーで肉まん・あんまんを温め、ホカホカのうちに食べてもらうという、今に至る販売形態は、ここから始まった。今年はちょうど50周年にあたる。

井村屋は68年からの灯油スチーマーによる肉まん・あんまんの販売を、あえて関東からスタートさせたという。当時の関東では、井村屋の冷凍食品の取扱量や販売量が関西より少ないという事情があった。中京、関西で既に地盤を持つ井村屋は、これから攻め込むべき関東でまずアイスクリーム・氷菓などの販売を仕掛けて徐々に販売を伸ばし、それを冬場にスチーマーを使った肉まん・あんまん販売に切り替える戦術を取った。

71年に電気スチーマーが完成すると、それまで冷凍だけの販売だった中京・関西でも店頭でホカホカの肉まん・あんまんを売り出し、いよいよ全国展開に乗り出した。

64年に発売した最初の肉まん・あんまん

参入した初年度に150万円弱だった肉まん・あんまん事業の売上高は、灯油スチーマーでの販売が始まった68年度には3800万円を超え、全国展開を始めた71年度は22億円に急成長した。70年代後半からはコンビニ業界が急成長したことを背景に、さらに弾みがついた。

後編では、肉まん・あんまんの成長を支えた生産面での技術革新への取り組みと、多様化するニーズを取り込みながらライバルの中華まんメーカーと繰り広げてきた競争についての変遷を振り返る。

(ライター 三河主門)