カリブ海に浮かぶ 大自然と歴史のワンダーランド

日経ナショナル ジオグラフィック社

ナショナルジオグラフィック日本版

シント・ユースタティウス島沖に沈むケーブル敷設船「チャールズ・L・ブラウン」を調査するダイバー。この島の周辺は、カリブ海で最大規模の海洋保護区だ(Photograph by Helmut Corneli, Alamy Stock Photo)

カリブ海に、シント・ユースタティウス島というオランダ領の島がある。島民は約3500人。彼らは親しみを込めて「ステイシャ島」と呼ぶ。あまり知られていない島だが、近年、その歴史が明らかになりつつある。

島を取り巻く海域は海洋公園に指定されていて、この地域では1、2を争う人気のダイビングスポットだ。英連邦の一員である島国、セントクリストファー・ネビスから8キロメートルほど北西に位置している。島と周りの海には保護された史跡が数多くあり、その1平方マイル(約2.6平方キロメートル)あたりの数は、カリブ海地域で最も多い。

シント・ユースタティウス島は自然豊かな火山島で、絶滅の危機が迫るウミガメの貴重な産卵地にもなっている。島の南部にあるクイール/ボーベン国立公園には、アカハシネッタイチョウなどの珍しい鳥が生息し、また17種類のランも生育している。島にそびえるのは休火山のクイール山だ。

これまで、しばしば見過ごされてきたシント・ユースタティウス島。大自然と歴史のワンダーランドともいえるこの島を紹介しよう。

シント・ユースタティウス島南部にそびえるクイール山。この休火山は、約34平方キロの島にある3つの保護地区の1つ、クイール/ボーベン国立公園にある(Photograph by Mauricio Handler, Nat Geo Image Collection)

シント・ユースタティウス島の歴史

18世紀、シント・ユースタティウス島は、大西洋奴隷貿易の中心地のひとつだった(島は17世紀初頭にオランダによって植民地化されていた)。最盛期には、年間3000隻を超える船が入港している。経済的に成功したシント・ユースタティウス島は、米国独立戦争の際、英植民地の独立派に弾薬を供給した。この友好関係は1776年11月に米国の帆船「アンドリュー・ドリア」がシント・ユースタティウス島に到着したことで明らかになった。

この時、独立宣言を携えていたアンドリュー・ドリアを、シント・ユースタティウス島が礼砲を放って迎えたことにより、オランダは米国の独立を承認する最初の国となった。これを機にオランダと英国の長年にわたる緊張関係は頂点に達し、第4次英蘭戦争へとつながっていく。シント・ユースタティウス島では今でもアンドリュー・ドリアを迎えた11月6日を「ステイシャの日」として祝っている。この日は「最初の礼砲」の再現劇も催され、カーニバル(謝肉祭)に次ぐ祭日だ。

シント・ユースタティウス国立海洋公園には36カ所ものダイビングスポットがあり、まさに史跡の宝庫だ。目玉のひとつは島の南西沖にある「アンカーポイント」。サンゴに覆われた1750年ごろのフランス製の錨(いかり)が、ロブスターや魚が群れるサンゴ礁の陰に横たわっている。その近くでは、1954年に製造されたケーブル敷設船「チャールズ・L・ブラウン」が永遠の眠りについている。カリブ海でも最大級の水中遺跡だ。

かつて商業港として繁栄したシント・ユースタティウス島の海底に沈む、昔のカノン砲(Photograph by Helmut Corneli, Alamy Stock Photo)

「古い新聞記事や政府が出した書簡などの史料から、植民地時代に、島の周辺で多くの船が難破したことがわかっています」と、考古学者のルード・ステルテン氏は言う。同氏はシント・ユースタティウス島の海事史を研究するため、沈没船を記録し保護することを目的とした水中考古学の研修機関、「シップレック・サーベイ(難破船調査)」も運営している。「発見したのはまだ数隻ですがね」

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