日経ナショナル ジオグラフィック社

1225年ごろ、現代のマリとギニアの国境近くにあった小国カンガバで、放浪に出ていたスンジャタ王子がスマングル王に対して反乱を起こし、権力を掌握した。その後王子は領地を広げ、黄金やその他の資源が豊富なトンブクトゥも支配下におさめた。王子はイスラム教を受け入れ、ムスリム商人たちを歓迎した。

マリ帝国の誕生

スンジャタの下で地域は繁栄し、やがてマリ帝国として知られるようになる。

トンブクトゥにあるシディ・ヤハヤ・モスクの扉。15世紀に作られた扉の装飾には、モロッコ様式の影響がみられる(MICHEL RENAUDEAU/GETTY IMAGES)

その後スンジャタの弟の孫であるマンサ・ムーサが皇帝の座に就くと、トンブクトゥはマリの首都になった。

1324年、メッカへ巡礼したマンサ・ムーサは、旅先で膨大な知識を仕入れ、故郷へ持ち帰った。

メッカからはアラビア語の書物を、スペインのアンダルシアからは詩を手に入れた。トンブクトゥの図書館は拡張され、「アラビアンナイト」やムーア人の恋愛詩、コーランの注解書、偉大なアフリカ諸国の法律書や戦記など、あらゆる書物が収められた。

はっきりした数字はわからないが、15~16世紀の黄金時代、トンブクトゥに数十万の書物が蓄積されていたことは間違いない。当時、町はソンガイ帝国に支配され、エジプトのカイロやスペインのコルドバなど各地から学者たちが集まっていた。

書物は、最も価値あるものとして扱われていた。町中いたるところで、書物が書かれ、写本が作成された。その多くはイスラム教の聖典や論文だったが、他にも科学、数学、医学、哲学、天文学の写本や、プトレマイオス、アリストテレス、プラトン、イブン・スィーナーの著作物もあった。

そんなトンブクトゥの凋落(ちょうらく)が始まったのは、1591年にモロッコの君主が黄金交易を掌握するため、トンブクトゥを襲ったころからだった。兵士たちは図書館を略奪し、著名な学者たちをモロッコへ連行した。図書館のコレクションはバラバラにされた。個人で図書館を所有していた人々は、書物を泥レンガの壁の裏側に隠したり、砂漠へ埋めたりした。だが、多くは移動中に失われたり破壊されたりしたと思われる。

モロッコ、タムグルートにある有名なトンブクトゥの標識。昔からその交易と知識がここまで到達していたことを示している(TERRANCE KLASSEN/AGE FOTOSTOCK)
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貴重な写本の保全