これらの腸内代謝物に加え、佐治氏が脳腸相関で注目しているのがLPS(リポポリサッカライド)。大腸菌をはじめとする「グラム陰性桿(かん)菌」という種類の腸内常在菌の外膜に存在する物質だ。「腸管内でLPSが増えると炎症が起こり、腸のバリア機能が低下する」(佐治氏)。アルツハイマー病で死亡した患者の脳の海馬からLPSが検出されたという驚く研究も発表された[3]。歯周病菌由来のLPSが炎症を促す情報物質を産生して脳に炎症を及ぼし、アルツハイマー病と相関が強いと考えられているアミロイドβの蓄積に関わる可能性も見いだされている。
そこで佐治氏は認知機能が健常な人や認知症の前段階の軽度認知障害の人、認知症の人の食事内容と血液中のLPS濃度を調べた。すると、LPS濃度は軽度認知障害で有意に高い値を示した。また、LPS濃度が高い人は魚介類の摂取量が少ない傾向があった[4]。「体内の常在菌では腸内細菌の数が圧倒的に多いため、腸由来のLPSが何らかの炎症を引き起こし、認知症リスクを高めている可能性がある」(佐治氏)。動物性食品に多く含まれる飽和脂肪酸は血中LPS濃度を高め、魚に多いn-3系脂肪酸は低くするという研究もある[5]。
腸の状態が脳に悪影響をもたらし、認知症を引き起こすメカニズムについてはいくつか仮説があり、現在解明中だという。「腸内細菌叢がバランスを崩した際に生じるアンモニアやLPSなどの炎症成分が自律神経や血液循環を介して脳に悪影響を及ぼし、腸内細菌が餌を食べて産生する短鎖脂肪酸が炎症抑制に働くというのが興味深い仮説」と佐治氏は語る。
日本食、認知症リスク抑制に貢献か
佐治氏は自身の研究も含め、世界で行われた腸内細菌叢と認知症に関する臨床研究を分析し、論文にまとめている[6]。「認知症には腸内細菌叢の状態が影響しているのはほぼ確実。今後、腸内細菌叢に対する影響が強い食事について精緻に見ていく必要がある」と佐治氏は話す。
では、どのような食生活が日本人の認知症リスクを抑える可能性があるのか。佐治氏は日本人85人を対象に、その食事内容を「伝統的日本食」「現代的日本食」「コーヒーを含む日本食」の3つに分類し、認知症の関係について解析した(図表3―1)。明治期以降、日本の食卓に定着したコーヒーについては世界中で認知機能に好影響とする研究がある。
「ファストフードや飽和脂肪酸を多く含む高脂肪食などの西洋型食事は腸内に炎症をもたらし、認知機能低下の危険因子である一方、伝統的日本食は魚や野菜、豆類の摂取が多い地中海食と同様に認知症リスクを下げるという報告がある。今回はさらにどのような食品が認知症リスク低下に関わるのかをあぶり出したいと思った」(佐治氏)。その結果、図表3―2のように、大豆、キノコ、果物、コーヒーを含む食事は認知症有病率を下げた[7]。「被験者の血中LPS濃度も調べたところ、魚介類と果物はLPSを低下させていた」(佐治氏)。

