客室の入り口に立つ木村氏。当主自らがゲストを案内する

奈良県田原本は、奈良盆地の中央にあり、近くを大和川が流れる。伊勢まで続く初瀬街道や大和古代道中ツ道が通り、かつては交通・物流の中心地でもあった。そんな田原本で創業1689年の奈良県最古の醤(しょう)油蔵に泊まるという特別な体験ができる宿が「NIPPONIA 田原本 マルト醤油 」だ。

元醤油蔵ならではの特別な雰囲気

りっぱな門構えの入り口は、大和の伝統建築様式である大和棟になっていて、敷地には井戸や大豆を茹でた竈(かまど)が残る。かつて醤油を造っていた蔵人が寝泊まりしていた醤油蔵や書物が置かれていたりっぱな府庫が、今は客室になっている。当時のままの梁を生かした建物は他にはない雰囲気だ。

かつての醤油蔵が単に宿になっただけではない。今のマルト醤油18代当主の木村浩幸氏が戦後の食料難で原材料の調達に困って閉業したマルト醤油を再興させて、醤油の文化を肌で感じてもらえるように宿にしたのだ。自分で絞った生醤油で食べるお造りにずいきやわさび菜など何種もの地元野菜を添えるなど土地の味をいただく料理も魅力的だ。

立派な梁は醤油蔵の時のままを生かした。蔵で寝泊まりしていた蔵人の雰囲気で

木村氏は「旅人から蔵人へ。田原本を訪れ、ここに泊まっていただくことで、当時の蔵人の生活や大和の醸造文化を感じてほしい」と語る。彼の愛情の籠もった案内も宿の魅力の一つだ。元はアパレル業界にいて、祖父が亡くなるまで、ここが醤油蔵だったことすら知らなかったほどの木村氏。物置になった蔵の中に祖父の大事にしたタンスがあり、そこにきちんと畳んで置かれていたマルト醤油の前掛けを発見し、醤油づくりに打ち込んだ祖父への思いを新たにしたという。

蔵の中には1000点以上の古文書があり、醤油に関する記載などもあった。それらを読み解きつつ、村の古老が幼少の頃に目にしていた醤油造りの様子を聞いて回って、蔵で行われていたやり方が分かってきた。そんな風にしてマルト醤油が再現されたのは15年のこと。祖父が蔵を閉じてから70年ぶりのことだった。醤油を知ってもらうにはまず、ここに泊まって欲しいと、20年8月にオープン。ビジネスコンテストに臨んで創業部門で優勝し、農林水産省の農泊事業にも採択された。地域を知ってもらうために、オリジナル御朱印や地域で連携する事業者に持参すれば特典のある割り符を宿泊者向けに出すなどしている。

小野アムスデン道子
世界有数のトラベルガイドブック「ロンリープラネット日本語版」の編集を経て、フリーランスに。東京と米国・ポートランドのデュアルライフを送りながら、旅の楽しみ方を中心に食・文化・アートなどについて執筆、編集、プロデュース多数。日本旅行作家協会会員。