
2019年11月12日、イタリアの「水の都」ベネチアを記録的な高潮が襲い、街の85%が浸水した。夫婦で不動産管理会社を営むマルコ・マラフォンテさんは、「ただの高潮ではありません。これまで経験したことのない巨大な波でした」と話す。
潮位は、ベネチアの記録史上2番目に高く、1.8メートルに達した。

気候危機が深刻になる1970年代より前であれば、この一件はまれな自然災害として片付けられていただろう。しかし、ベネチアは今や、気候変動と闘う都市の象徴的な存在になっている。
かつてはまれだった「アクアアルタ」と呼ばれる異常潮位は、世界の海面上昇とともに今や新たな日常となりつつある。過去100年間にベネチアを襲ったアクアアルタのうち、特に被害が大きかった25回の記録を見ると、いずれも潮位が1.37メートルを超えており、そのうち半分以上が2009年12月以降に起こっている。
そのため、ベネチアの街は莫大な予算を投じて、高潮から街を守るための可動式の水門を設置する計画を立てた。「モーゼ」と名付けられたその水門は、アドリア海北部とベネチアの潟を結ぶ入り口に設置され、満潮のときに海水が潟に入り込み、街に押し寄せるのを防ぐ。
水門は既に稼働し、効果を発揮しているようだ。しかしこの巨大装置は、ベネチアの崩壊を食い止める最後の手段である一方で、同じく繊細で危機的状況にある潟にさらなる脅威を与えてしまっている。潟には生物多様性に富んだ塩性の湿地があり、過去1800年間にわたってベネチアに生命をもたらしてきたのだ。

モーゼ計画とは
1987年に計画が持ち上がったモーゼは、可動式の防潮堰(ぼうちょうぜき)で、正式名称を「MOdulo Sperimentale Elettromeccanico(電気機械実験モジュール)」という。その頭文字を並べた通称モーゼ(MOSE)は、イスラエル人をエジプトから連れ出し、海を二つに分けたという旧約聖書の預言者モーセを思い起こさせる。
モーゼの建造は2003年に始まり、現地での設置が開始されたのは2008年だった。目標は、少なくとも今世紀末までベネチアの街を守ることだ。その頃までには、現在よりさらに60センチ海面が上昇すると予測されている。完全な稼働開始は2023年12月の予定だが、2020年までに一部が完成し、試運転が行われた。


モーゼ計画の柱は、アドリア海から潟に通じる3カ所の水路に設けられた4つの巨大な防潮堰だ。そのうち最も大きな2つの堰(せき)は、それぞれ21基と20基の鋼製の可動水門から成り、長さは合わせて800メートル。ベネチアの中心街がある島のすぐ東側のリド水路に設置された。2つの防潮堰の間には人工島が築かれ、制御センターが置かれている。堰のすぐ隣には、稼働中に小型船舶が通航できるように閘門(こうもん)が設けられている。
19基の可動水門で構成される3つ目の堰は、そこから南に12キロ下った水深14メートルのマラモッコ水路に設置された。ここにある閘門はリド水路のものよりも大きく、大型の貨物船や産業船が通航することができる。18基の可動水門で構成される4つ目の堰は、潟の南端にあるキオッジャ港近くに設置されている。こちらの二重閘門は、漁船や観光船、緊急用の船舶のために造られた。
モーゼの最も画期的な点は、重さ10トンの可動水門が普段は海底に隠されていて見えないことだ。海面が通常よりも1メートル上昇すると、高潮警報が鳴り、水門が自動的に持ち上げられる。圧縮空気が水門内部に送り込まれ、30分以内に海面から最大3メートルの高さまで上昇する。危険が過ぎ去ると、水門の内部に再び水が満たされ、海底の元の位置に戻される。
