ビビリ自称も逃げない パナ生え抜きの女性取締役候補働く女性のキャリアスパイス(5)

2022/5/19
結婚や出産で女性が職場から去っていったのは昔の話。ライフイベントも経ながら働き続けていくのが、令和の女性たちに多いワークスタイルだ。とはいえ、ロールモデルが身近にいなくて先行きが見通せなかったり、働き始めた頃とは違って「成長」を実感できなかったりで悩むことも。先輩女性たちはどんな体験をバネにキャリアを築いていったのだろうか。活躍する女性に、自身を今に導いた「あの頃」や迷いを脱する助けとなった「こんな言葉」を語ってもらう。

2022年4月、持ち株会社制への移行でパナソニックホールディングス(HD)が発足した。同社はいま、グループを挙げて「多様な人材がそれぞれの力を最大限発揮できる最も『働きがい』のある会社」を目指した取り組みを進めている。取り組みの三大柱の1つは「DEIの推進」。「DEI」の「D」はダイバーシティ(多様性)、「I」はインクルージョン(同社による日本語での表現は「包括性」)、双方の間にある「E」はエクイティ(同「公平性」)で、これら3つの英単語から、それぞれの頭文字を取る形で略した言葉だ(同社の本来の表現では”Diversity,Equity&Inclusion”の略)。

今回は、そんなパナソニックHDで22年6月、取締役に就任予定の少徳彩子さんにご登場いただく。少徳さんは1991年に松下電器産業(後のパナソニック、現パナソニックHDと8子会社=以下、本記述を省略)に入社し、現在はパナソニックHD執行役員グループ・ゼネラル・カウンセル(GC、法務担当役員)を務める。生え抜き女性が取締役に就任するのは、創業以来の100年超の歴史のなかで初めてのこととなる。

深みとつやのあるアルトの声。時折、笑いを誘う自虐的なコメントを挟みつつ、理路整然と言葉をつむいでいく。そこに声の音質があいまって、いかにも法務担当の役員らしい説得力のある話し方が印象的だ。実際、30年あまりの社歴の約3分の2を法務畑で過ごしてきた。しかし、「いつまで働くか」を含め、入社前後の仕事観は、まったく別なものだった。

「世界を飛び回る仕事がしたい」 最初の配属は国際営業

就活にあたり、どういう企業で仕事をしたいかと考えたときに、非常に明確に「世界を飛び回る仕事がしたい」というのがありました。「世界が市場である企業で働きたい。そうすれば世界中を飛び回れるはずだ」と実に短絡的な発想で考えていたのです。当時は日本企業の海外進出も盛んで、グローバルの市場をターゲットにしている日本のメーカーがいいかなと。

私は帰国子女なんですね。小学校の後半から高校を卒業するまでアメリカで暮らしていて、大学進学の際、日本に戻ってきました。そんな経緯があるので、「海外で暮らしたことはある。けれど、海外で仕事をした経験はない」というのが、「世界中を飛び回る仕事がしたい」という動機に結びついたのだと思います。

1991年に入社した少徳彩子さん。法務畑が長く、2022年3月末までは車載機器事業を手がけるパナソニックの社内カンパニー、オートモーティブ社(現パナソニックオートモーティブシステムズ)の常務を務めた。

実は、こんなに長く働き続けると思っていなかったのです(苦笑)。就活の頃はまだ育児休業の法制化前ですし、当時は女性の結婚をクリスマスケーキになぞらえて、揶揄(やゆ)するようなこともあった時代です(「25歳になると女性は結婚が難しくなる」というようなイメージで、女性と結婚年齢の関係を「24は売れる。25は売れない」といった、日付によるクリスマスケーキの売れ行きの違いに見立てるような風潮があった)。

だから、当時は「いつか出産することになったら仕事は辞めるのだろうな」とも。「数年働いて、その間に海外を飛び回れればいい」。そんな風に考えていました。

バブル世代なので好景気を追い風にたくさんメーカーを受けて。なぜ、弊社に入ったのか改めて考えると、OB・OG訪問でお会いした先輩たちの印象が非常に良かったのです。いまにして思えば、先輩方は就活中の学生を相手にお話しされる訳ですから、ある程度、割り引いて考える必要があったのかもしれません。とはいえ、皆さん、ご自身の仕事にプライドや誇りを持っていらして。「こういう先輩たちと仕事がしたい」「この会社は水が合う」と感じたことが決め手になりました。

最初の配属は国際インダストリー営業本部(当時)。希望をかなえた格好だが、担当地域となった欧州には販売会社があり、前線の営業はそこが担っていた。自身の職務は、国内の事業部と現地の販社をつなぐような、調整業務が中心だった。

日々、海外とのやりとりはしていて、先輩や上司は海外出張もされていました。けれど、新入社員にすぐ海外出張の機会が訪れる訳もありません。担当したのは、半導体や受動部品という小さな電子デバイスの営業でした。デバイスを悪く言うつもりはありませんが、「全くもって文系」の私には、なかなか理解ができずチャレンジングな商材でした。

1年半ほどたったところで突然、「異動だ」と言われました。裏返せば、本当に役に立っていなかったのだろうと思います。新入社員でそんなに早い異動はないですよね。結局、その部署では海外出張の機会が1度もありませんでした。

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