1507年、2度目のイタリア旅行から帰国したデューラーは、一連の重要な依頼を受ける。1512年、神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の宮廷画家になり、翌年、「騎士と死と悪魔」を含む三大銅版画の制作を開始した。

米テキサス大学オースティン校でヨーロッパの芸術を研究するジェフリー・C・スミス氏によれば、デューラーはこれらの版画への「知的な挑戦を楽しみ」、多忙な人生の1年間を制作に費やした。デューラーの挑戦は「北方とイタリアを結ぶ芸術的、知的な懸け橋」の役割を果たした。

比類のない技術力

デューラーは「騎士と死と悪魔」で、ドイツの伝統とイタリアの古典的な形、遠近法、比率を組み合わせた。馬に乗る騎士は忠犬とともに数々の苦難を通り抜ける(ベネチアのサン・マルコ寺院に立つ4頭のブロンズの馬から着想を得たと言われている)。怪物のような悪魔、病める馬にまたがり砂時計を掲げるグロテスクな死の姿。中世の騎士道や宗教観を表現しながら、ルネサンス芸術に見られるイタリアの規範に従い、人や動物の体を正確に描写している。

[騎士と死と悪魔]ニュルンベルクの芸術家アルブレヒト・デューラーが1513年に制作した銅版画。最も技術的に優れ、表現力が豊かな版画の1つと評価されている(IMAGE COURTESY OF ALAMY/ACI)

金細工師の父に教わったビュランという刃物を使い、騎士のよろいや革靴、犬の毛皮、馬のつややかな毛並みなど、驚くほど多彩な質感を生み出した。デューラーはこの作品で比類のない技術力を示したと多くの美術史家が評価している。

デューラーの木版画は人気が高く、大量生産が可能で、最大2000枚刷ることができた。一方、「騎士と死と悪魔」などの銅版画は100〜200枚で、木版画より高価ではあるものの、手ごろな価格だった。この人気により、デューラーは芸術家のブランド化の先駆けとなった。ほとんどの作品にADというイニシャルを入れたモノグラムが付いているほどだ。デューラーは生涯で10万〜20万枚の版画を刷った。

(文 EMILY MARTIN、AMY BIGGS、訳 米井香織、日経ナショナル ジオグラフィック)

[ナショナル ジオグラフィック 日本版サイト 2022年5月23日付]