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2021年夏の東京五輪大会。バスケットボール女子日本代表が獲得した歴史的な銀メダルは、体格がモノをいうこの競技で、小さくても世界で戦えることを内外に示すことになった。次のパリ五輪に向け、指揮官トム・ホーバス氏(現・男子代表ヘッドコーチ)の後任を託されたのは、アシスタントコーチを務めていた恩塚亨氏(43)。得意とするのは緻密なデータ分析と、「ワクワクを引き出す」コーチングだ。選手を頑張らせるのではなく、選手自ら頑張りたくなるようにする独自のメソッドは、どのような経験から編み出されたのか。

かつては息苦しい指導だった

筑波大学卒業後、千葉市にある進学校、渋谷教育学園幕張中・高(渋幕中・高)の保健体育の教師をしていた恩塚氏は06年、大学バスケ指導者としての一歩を踏み出した。同中高と同じ系列の学校法人が開学した東京医療保健大学で、自らバスケ部創設に動き、初年度は部員5人でスタートした。

選手としても指導者としても実績が乏しかった恩塚氏にとって、船出は決して楽なものではなかった。バスケ部に入ってくれる選手を集めるため各地の高校に挨拶に行っても、「何者?」といぶかしがられた。入部してくる学生も、そもそもバスケがしたくてこの大学を選んだわけではないので、モチベーションも低い。週に3回だった練習を4回に増やすのに、ファミレスで2時間説得しなければならず、創部3年目に関東大学2部リーグに昇格した際も「なんで午前、午後と1日に2回も練習しなきゃいけないんですか」と真顔で聞かれた。

だが、データ分析を基にしたロジカルな説明と、情熱あふれる指導でチームは徐々にまとまり始め、創部から6年後の12年には全日本学生選手権(インカレ)に初出場。17年には初優勝し、その躍進ぶりに大きな注目が集まった。

「ただ、今思うと相当、息苦しい指導をしていました。『リーグ1部に昇格したいのなら、インカレに出場したいのなら、やるしかないだろ』と。当時は、苦しさを乗り越え、他の人がしない努力をした者だけが成功するという『ノーペイン、ノーゲイン(痛みなくして得るものなし)』的な価値観を信じていました。世間的にも特にスポーツの世界ではそういう根性論が一般的でした」

だが、19年にインカレ3連覇を成し遂げた頃から選手の顔に笑顔がなくなり、勝っても疲れ切った表情をしていることが気になり始めた。おりしも新型コロナウイルスの感染拡大で、大学の練習が中止となり、東京五輪も延期となったことで時間の余裕が生まれた。この時、恩塚氏はビジネス書や脳科学、心理学、社会学などコーチングに役立ちそうな本を手当たり次第読みあさったという。その数、年間400冊近く。

バスケットボール女子日本代表ヘッドコーチ 恩塚亨氏 @FIBAWWC

バスケットボール女子日本代表ヘッドコーチ 恩塚亨氏 @FIBAWWC

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