昭和期、「石焼きいも」の発明で国民的おやつに

さて、第1次ブームから第2次ブームはほとんどつながっていて100年以上となるが、それだけ長い期間、焼きいもは人気商品だったわけだ。江戸から明治になっても砂糖はまだまだ貴重品の時代。手ごろな価格で甘いものが食べられることはありがたかったに違いない。
太平洋戦争が終わった1945年の日本は凶作もあって深刻な食糧不足に見舞われていた。そんななかで政府はサツマイモを含むイモ類の栽培を奨励したことから、サツマイモ栽培が全国的に行われるようになった。その1945年ではなく1951年が第3次焼きいもブームというのはなぜだろうか。
実は1951年に「石焼きいも」が発明されたのだ。それ以前の焼きいもは、江戸時代はかまどに焙烙(ほうろく。焼いたり煎ったりするための土鍋)を置いて焼くなどが一般的で、関東大震災後にはインド料理で使うタンドールのようなじか火オーブン式の「つぼ焼き」が流行したという。

それに対して、石焼きは2つの点で新しさを持っていた。発明者は東京・向島(むこうじま)の三野輪万蔵さんという人だったと言う。石焼きは読んで字のごとく熱した小石でいもを包む方式だが、これはイモに均等に熱を通しやすい方法だ。さらに、三野輪さんはその専用調理機を特注のリヤカーに乗せて引き売り屋台を作った。そして、秋・冬の農閑期に東北地方の農家の出稼ぎの一つとして石焼きいも屋台販売網を展開したという。
1951年は日本が外貨を獲得するようになって、国民の所得が上向き始めた頃。そして国策で大量に栽培されたサツマイモはだぶついていた。そんな情勢のなか、焼きいもは手ごろな価格のスイーツとなって家や職場の近くに登場し、大人気商品になったのだ。

ところが、そのブームが1970年ごろに下火になったというのが、さびしいことながら興味深い。1970年は大阪万博の年で、ケンタッキーフライドチキンなどのファストフードが日本に上陸した年。菓子ではその少し前から「かっぱえびせん」という“甘くない菓子”がヒットし、1971年には「カップヌードル」という“甘くない間食”も登場している。そんな食生活、食志向の変化のなか、焼きいもはいったん“おやつの代表”の座を他に譲ることとなった。秋冬の季節商品であることも、お菓子ビジネスがマスマーケット化するなかでは不利に働いた。
では、2003年からの第4次ブームとはいかにして興ったのか。前出「焼きいもブームの歴史とその背景」によると、2003年に静岡のスーパーマーケットで焼きいもオーブンを使った焼きいもの販売が始まったという。この焼きいもオーブンはその後も改良を重ねながら、ほかのスーパーにも普及していった。