英国でも高評価を得た和紅茶

なお、この前後、静岡から海外への紅茶積み出し港として清水港を整備するように政府に働きかけるなど尽力したのが、博徒から足を洗って地域振興に打ち込む実業家に転じていた清水の次郎長こと山本長五郎であったという。「旅行けば駿河の道に茶の香り」で始まる浪曲で知られる「街道一の親分」。その茶の香りとは、実は紅茶の香りであったのに違いない。
明治以降の技術の研さんもあって、日本産紅茶の国際的な評価は高かった。たとえば、日東紅茶のブランドで知られる三井農林は明治後期に茶園と工場を開設したが、1927(昭和2)年に試製して海外市場に出品した紅茶が「ダージリン産に似た優良品」と高評価を得たという。
そんな日本の紅茶産業は太平洋戦争中に輸出が不可能となっていったん縮小するが、戦後再び盛り返す。だが、一方で日本は工業国としての成長を進め、物価は上昇。一方、その間に生産量を伸ばしていたインド、スリランカ、ケニアなどに比べて、日本の紅茶は国際競争力を失っていった。そして、GATT(関税と貿易に関する一般協定)の交渉で、日本は1971年に紅茶輸入自由化をのむこととなり、輸出産業としての和紅茶は事実上消滅することとなってしまった。
ただし、それと入れ替わりに、1960年以降の所得倍増計画の実現もあって国民所得は上昇し、誰でも普通にお茶を買って日常的に楽しめる時代となり、日本の茶ビジネスは内需へシフトした。そしてそのとき、人々が選んだのは、ご飯とおかずの食後に合う、あるいは和菓子に合う味わいのお茶としての緑茶だったわけだ。
しかし、今日の日本の食生活はいわゆる洋風化ではくくれないほど多様化しているから、これまでのように緑茶だけでなく、紅茶も同等に楽しんでよい環境は整っている。「日本茶」のもう一つの形としての「和紅茶」は飲み頃になっていると言えるだろう。
また、世界では日本食の人気は続き、日本産食品の品質への評価は高い。日本の景気回復の遅れや30数年ぶりの円安は心配の種ではあるが、そんな今こそ、明治の頃のように紅茶輸出に力を入れる機会ではないだろうか。

そんななか、和紅茶への注目をさらに高めるニュースが入ってきた。10月26日、UK Tea Academyが主催する世界のお茶の品評会THE LEAFIES 2022が、紅茶ブランドでも有名なロンドンの百貨店のフォートナム&メイソンで発表され、熊本県の茶園「お茶のカジハラ」がBEST IN SHOW(最高賞)を受賞したほか、多数の日本の茶園が部門ごとにGOLDを受賞した。
受賞した茶園の多くはお取り寄せにも対応している。紅茶文化の本場英国でも評価された和紅茶を試してみたい。
(香雪社 斎藤訓之)