海外主張に出向いた際は、視察も兼ねて現地の有名レストランなどに出向くのも常でした。先輩にお供し食事をするわけですが、その当時の私はまだ30歳前後。その若さで高級ホテル内のお店などなかなか行けませんでしたから貴重な経験でしたね。そういえば新人で福岡に赴任した際、先輩に連れられて行った料理屋で口にしたフグも生まれて初めての味でした。それまでフグは「毒がある危険な食べ物」とずっと思っていましたから。自分にとって未知なる味を会社に入ってからは、ずいぶんと経験させてもらい、食の世界が広がったと改めて今、感謝しています。
――ホテルに続く「立ち上げ屋」としての大仕事はポッカとの統合ですか。
ほかにも「コンピューター西暦2000年問題」に備え、社内のシステムの入れ替えやサッポログループのホールディングス制へのシフト(03年)に向けての地ならし作業、カナダのビール会社の買収や社内での焼酎事業部門の新規立ち上げなどを手がけています。ただ、ポッカコーポレーションとサッポロ飲料を統合した現在のポッカサッポロフード&ビバレッジの立ち上げは、私にとっても「創業」であり、思い出深い仕事といえますね。
草食系のサッポロ、肉食系のポッカ
なぜ、自分に立ち上げの仕事が多く回ってくるのか。その理由を考えると、自分自身結構フレンドリーで、何でもおもしろいと思う口だから、だと思っています。もっとも09年に取締役としてポッカにたった1人派遣された際は正直、転職したような気分でした。周囲は知らない人ばかりだし、ポッカの人たちからすれば「乗り込んできた男」と映ったようで、私自身もポッカとサッポロの企業文化の違いを痛感しました。よく私は「サッポロが草食系で、ポッカは肉食系」と例えています。サッポロ側はおとなしく全体調和型の社員が多いのに対し、ポッカ側はトップダウンで強力な商品開発力が持ち味でした。

レモンとコーヒーとスープがポッカの主力事業で、私自身、同じ食品・飲料メーカーの人間として違和感はありませんでしたが、実は私は「酢の物」など酸っぱいものが苦手だったのです。おまけに缶コーヒーも若いころにたっぷり飲んだため、その後、飲む機会はめっきりと減っていました。だからポッカに乗り込んだ当初は試食・試飲がしんどかったですね。
ポッカとサッポロを統合させるミッションですが、両社はお互い意地もあれば、競合関係にもあったわけです。当然ながら統合作業は一筋縄ではいきませんでした。
1963年生まれ。千葉県出身。横浜国立大学経営学部卒業後、86年4月、旧サッポロビール(現サッポロホールディングス)に入社。2006年、サッポロビール(新会社)北海道本社・戦略企画部長、09年旧ポッカコーポレーション取締役、12年ポッカサッポロフード&ビバレッジ常務、20年同社社長に就任し現在に至る。趣味は旅行。時刻表検定1級を所持する。
(堀威彦)