今では、「多くの動物には人間と同じくらい複雑な心の働きがある」というドゥ・バールの見解を受け入れ始めた行動学者も出てきた。「違うのは、人間は感情を言葉で表現できること。自分の気持ちについて話せることです」。こうした新しい見方が広く受け入れられたら、私たちは動物との接し方や動物の扱い方を根本的に見直すことになるだろう。「人間以外の動物にも感情がある、昆虫にも感性があるということになれば、動物も倫理的に扱うべき存在となります」とドゥ・バールは話す。
動物の精神生活を探る科学研究にはまだ異論も残る。一部の科学者に言わせれば、人間以外の動物の思考や感情を知ることは不可能に近い。「動物の行動を見て、その源に主観的な感情があると考えるのは、ただの推測であって、科学ではありません」と言うのは、米カリフォルニア工科大学の神経生物学者デビッド・J・アンダーソンだ。彼はマウスやショウジョウバエ、クラゲで感情と関連した行動を探っている。人間以外の動物を対象にして悲哀や共感といった感情を調べるなら、研究対象を擬人化しているという批判をかわさなければならない。
そのためには、動物の行動から引き出した推論を実験で検証しなければならないと、米アラスカ・パシフィック大学の海洋生物学者で、タコを研究しているデビッド・シールは話す。「イヌが特定の人間と強く結ばれることは明らかですが、イヌは飼いならされていますからね。キツネはどうなのか。オオカミにもさまざまな感情があるでしょうか。シャチは群れの仲間と強い絆で結ばれるのか。イルカは魚の群れやダイバーと友達になれる? こうした問題は直感的に考えても迷走するばかりです。ある人は『それは作り事だ。そんなものは友情とは呼べない』と言うでしょうし、別の人は『いやいや、バカなことを。動物にも精神生活はある。それを否定してはいけない』と主張するでしょう」
生き物たちの悲喜こもごもの日々
擬人化が科学的な思考に対する冒涜(ぼうとく)だとすれば、さしずめ私は罪深い。動物の気持ちが伝わってくるような動画を見ると楽しくなるからだ。たとえば、動物園にいるスイギュウがひっくり返ったカメを必死で助け起こす動画や、雪の積もった斜面をすべり下りたパンダがもう一回すべろうとまた斜面を登る動画、水路の端でバナナの皮をむいて食べようとしたら、バナナがチャポンと水に落ちて、ぼうぜんとするサルの表情をとらえた動画などだ。こうした動画を見ると、自然と顔がほころんで、妻にも見せたくなる。地球上の生き物たちが悲喜こもごもの日々を送っていると思うだけで、何だかとても幸せな気分になるのだ。
こうした私の思考はまったく科学的ではないが、人間だけが進化によって感情を獲得したわけではないことは、科学者も認めている。そもそも感情とは、動物を特定の行動に駆り立てる心の状態のことである。飢えや渇きは感情ではないと思うかもしれないが、行動に突き動かす心の状態であることに変わりはない。シールはそれらを「原始的な感情」と呼ぶ。「寝坊できる土曜の朝に尿意を催したら、しぶしぶベッドから出て、トイレに行きますよね。そうせざるを得ないからです」
恐怖のような原始的な感情は特定の行動を促す。愛や悲しみもそれらと質的に異なるわけではない。「今のところ科学や哲学のあらゆる研究から、どんなに高度で複雑な感情であっても、基本的にはこうした原始的な感情から成り立っていると考えられます」とシールは言う。
だとすれば、ノミからチンパンジーまで実に多様な動物が何らかの感情をもっているという考えも、それほど受け入れがたいものではない。一部の動物の感情は原始的かもしれないが、高度な感情をもつ動物もいるだろう。
(文 ユディジット・バタチャルジー=サイエンスライター、日経ナショナル ジオグラフィック)
[ナショナル ジオグラフィック 日本版 2022年10月号の記事を再構成]