入手した鶏素材を6時間かけてじっくりと炊き上げた後、急速冷凍を施す。そうすることで、風味の幅が拡がり、奥行きも格段に増すという。「現状、手元にあまり資金がなく、高価なブランド鶏や地鶏は使えない状況です。その代わりと言っては何ですが、手間ひまだけは惜しまずに掛けたいと思っています」

豊満なうま味がじんわり味蕾(みらい)へとしみ入り、芳醇(ほうじゅん)な薫りがふわりと鼻腔(びくう)をくすぐるスープは、すする度に頬が落ちそうになるほど。レンゲを動かし始めたら最後、飲み干すまで、その手を止めることができなくなる、会心の出来栄えだ。
タレにも店主の経験とこだわりが凝縮
スープだけではない。タレにも、店主の経験とこだわりが凝縮されている。「塩ダレは、私が『無坊』の店主だったころに使っていたものに、更なる改良を施したものです。具体的には、より深みのある風味を演出するため、用いる塩の種類を増やしました」。モンゴル岩塩、沖縄、赤穂など全国津々浦々の「名塩」を、絶妙なバランス感覚でブレンドし、昆布、干し海老で風味を整えた塩ダレは、スープに潜む「鶏」の存在感を際立たせ、浮き彫りにする役割を全うする。
「醤油ダレは、都内唯一の木桶(おけ)仕込みの醤油蔵元である『近藤醸造』(あきる野市)の『キッコーゴ醤油』を用いています。『自分が提供する醤油ラーメンには都内で作られた醤油を使いたい』と考え、探しに探した末に、ようやく見付けた醸造所です」。無類の醤油ラーメン好きである店主が、開発に当たって、塩に勝るとも劣らぬほどの力を入れた、という醤油ダレは、舌上で、スープ中の鶏とピタリと一体化。柔和な甘みと気品のあるうま味が、忘れがたい好印象を食べ手に刻み込む。
タレが縁の下から鶏を支える「塩」と、鶏とタレとの二人三脚で魅了する「醤油」。私は「塩」と「醤油」の両方を実食済みであるが、それぞれの印象はかなり異なる。タレの違いだけで、ここまで味の方向性を調整することができるのか! 店主の技量の高さと、素材に対する見識の深さに、脱帽するほかなかった。