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佐俣アンリ・ANRI代表パートナー

佐俣アンリ・ANRI代表パートナー

大手企業などの後ろ盾がない独立系ベンチャーキャピタル(VC)として着実に存在感を増しているANRI(アンリ、東京・渋谷)。投資先には印刷・物流サービスのラクスルやユーチューバーのマネジメントを手掛けるUUUMなど上場した企業も少なくない。代表パートナーの佐俣アンリ氏は自ら27歳で同社を創業した起業家だ。慶応義塾志木高校(埼玉県志木市)から慶応大経済学部に進み、リクルートに就職したものの2年半で辞め、学生時代から心引かれていたベンチャーキャピタルの世界に飛び込んだ。だが「レールを外れるのは怖かった」と振り返る。

慶応志木高校ではボート部に入り、大学でも体育会端艇部(ボート部)に入部した。しかし腰を傷めて2年生で退部。有り余るエネルギーを向ける先を探していた。

僕はスポーツが純粋に好きというより勝つことが好きだったので、マネジャーになる選択肢はないと思い、すっぱりと端艇部は辞めました。年間300日が合宿で朝4時半から8時間練習する生活だったのに、急にやることがなくなって困ったなあと。そこでたまたまおやじが写真好きでカメラが家にいっぱいあったので、写真を撮り始めました。カメラサークルにも入って大学の卒業アルバム制作のためにキャンパスの中で写真を撮りまくっていました。そのカメラサークルの仲間だったのが利根川裕太(NPO法人みんなのコード代表理事)で、僕が彼を松本恭攝(ラクスル社長)に紹介し、2人が共同創業したのがラクスル。いろいろつながっているんですよね。

大学3年の時に運命の出会いがありました。ベンチャーキャピタリストの草分け的存在である村口和孝さんの講演を偶然聞いて、理屈抜きに「カッコいい!」と思ったんです。言っていることはめちゃくちゃだし、論理的に説明するのもうまくないおじさんだったけど、なんかとにかくカッコよかった。

その出会いがきっかけで村口さんと、村口さんの投資先だったディー・エヌ・エー(DeNA)の南場智子さんに会いに行ったりもしました。当時VCに興味がある学生なんてほとんどいないので、いろんな人に「お前変わってるな」と言われつつ、ウノウという会社をやっていた山田進太郎さん(後にメルカリ社長)や、ミクシィに転職した直後の小泉文明さん(現メルカリ会長)なんかからもかわいがってもらいました。

その流れで自分でも起業の勉強会みたいなことを始めました。ちょうどライブドア事件の前で学生ベンチャーが流行っていたし、自分で起業するつもりはありませんでしたが、面白そうなことをやりたいという熱を持つ仲間の近くにいるのがすごく楽しかった。(ITビジネスメディアの)CNET Japanで企画をやらせてもらったり、人と人をつなげたりと、今思うとベンチャーキャピタル的な動きを当時からしていましたね。

でも就職では最初、日本生命保険に行くつもりでした。信じられないでしょう。僕、根っこでは極めて保守的なので、とりあえず大企業に行ったほうがいいかなと思ったんです。そもそも大学で経済学部を選んだのも「安全パイだから」という理由でしたし。幼少中とものすごく真面目な一貫校に通って、慶応も高校から大学までストレート。人生ずーっときれいにレールに乗っかってきたので、そこから外れるのが怖かったんです。

リスクを取るのは基本的に怖いし、当時はいまよりずっと大企業神話が信じられていた時代だったので、30代で1000万円もらえたらいいよなあなんて。高校、大学と奨学金をもらっていたので、安定的に収入が稼げることへの憧れもありました。

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