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人とのつながりが転職の明暗を左右する(写真はイメージ) =PIXTA

人とのつながりが転職の明暗を左右する(写真はイメージ) =PIXTA

役職定年を2年後に控えて、大手メーカーに勤務していたAさんが転職を考え始めたのは2017年の春、54歳の時でした。バブル景気直前の1985年に就職して以来、日本の成長をけん引する企業で32年間、活躍してきたAさんは、その転職活動で苦汁をなめることになります。それから4年、今は新天地で活躍するAさんが、企業で働く現役世代、特に40代に伝えておきたいこととは何か。自らの体験を踏まえてメッセージを送ってもらいました。

63年生まれのAさんは大学を卒業して新卒でZ社に入社しました。国際科学技術博覧会(つくば科学万博)が開催され、民営化でNTTが誕生した年でした。そして、バブル景気の発端となったプラザ合意が発表された年でもあります。極端なドル高是正によって、狂騒が始まりました。

海外営業や新規事業で実績を積み上げた32年

Aさんの配属先は海外営業。その後、15年にわたってドイツや香港での駐在生活もはさみながら、世界市場での売り上げアップに尽力します。特に大きかった成果は、携帯電話市場の誕生に合わせた電池事業の立ち上げと売り上げシェア拡大。海外の携帯電話メーカーに電池を供給するビジネスを大きく伸ばすことに貢献しました。

次の15年は、新規事業の創出を通じて、事業構造を転換させる取り組みにマーケティングのプロとして貢献しました。特に、事業化はならなかったものの、次世代ディスプレーの研究開発では、他社との共同プロジェクトという難しい座組みの下で新規事業開発に取り組み、Z社在籍中で最も輝かしい時を経験しました。その後も、新規事業創出、事業構造転換に関わる業務に携わってきました。

そして最後の2年間は、2015年以降、全社に吹き荒れた経営危機の嵐の中で、組織運営再構築、ガバナンス強化に少しでも貢献したいとの思いで、業務に当たっていたところでした。

最後の2年間の混乱期までのAさんの胸中には、20~40代という脂の乗った時代を、日本を代表する企業でエリート中のエリートとして疾走してきた実績への自信がみなぎっていたはずだと思います。しかし、現実はその自信を怒涛(どとう)の勢いで砕いていくことになります。

日本を代表する優良企業として、100年を優に超える歴史を誇るZ社が、経営危機に見舞われるきっかけは11年の東日本大震災でした。経営政策の目玉として原子力発電所に期待をかけていた矢先に起きた、福島第一原発の事故。これを受けて、世界各地での原発建設にブレーキがかかってしまいました。

高値で買収した外国企業社がひそかに抱えていた巨額赤字にも経営の足を引っ張られました。危機を感じた経営側が現場に無理やり数字を追いかけさせるマネジメントを迫ったことも一因となって、巨額の粉飾決算が明らかになってしまいました。その結果、経営陣の引責辞任という事態となり、虎の子だった事業も売却せざるを得なくなりました。

一連のつまずきや不祥事、混乱などにより、会社は経営危機を招き、従業員にとっても、約束されていたはずのキャリアや未来が崩れ去ることになっていきます。経営トップから現場に至るまで、巨大企業の人心があっという間にすさんでいくことになりました。

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