先行していたのはブラニフ航空で、1965年に「エア・ストリップ」キャンペーンを開始した。これは、女性客室乗務員がシャーベットトーンの制服で飛行機に乗り込み、機内で徐々に衣服を脱いでいくというものだった。離陸直前にコートのファスナーを開け、ブラウスとスカートが見えるようにする。夕食の配膳が終わると、スカートの前を開け、ブラウスを脱いで、ブルマとタートルネックの組み合わせを見せる。

1967年の就航後、サウスウエスト航空はホットパンツ、ヒップベルト、白いロングブーツといったきわどい制服で知られるようになった(PHOTOGRAPH BY ALAN BAND, KEYSTONE/GETTY IMAGES)

「空のバニーガール」的なアプローチを好んだ客は多かった。しかし、広告が卑猥(ひわい)になればなるほど、そして制服の露出度が高くなればなるほど、客室乗務員は体を触られ、つねられ、見下されるようになった。1967年には、あるスチュワーデスが緊急避難を指示していたところ、男性乗客が彼女を抱え上げて飛行機から運び出し、「君はここにいるべきではない」と言い放った。

1970年代半ばには、コンチネンタル航空の幹部が、出発する男性乗客の頬に女性客室乗務員がキスをしなければならないと定めた。

また1970年に導入されたボーイング747型機の多くは、らせん階段を上がった2階にカクテルラウンジを備えていたため、飲み過ぎた乗客は、火のついたタバコを通路に落としたり、階段から転げ落ちたりした。客室乗務員の抗議によって、間もなくアルコール規制は復活した。

コンチネンタル航空の機内、「ポリネシアン・パブ」で、乗客にサービスを提供する客室乗務員。1970年代、多くのジャンボジェット機にはバーがあったが、飲み過ぎた客が従業員に暴行を加えることも少なくなかった (PHOTOGRAPH BY FOUND IMAGE HOLDINGS, GETTY IMAGES)

客室乗務員が反撃「自分で飛べ!」

1972年、乗客の行動や、航空会社のきわどい広告と安っぽい制服に腹を立て、「女性の権利のために闘うスチュワーデス」と名乗る女性グループが反撃に出た。性差別的なキャンペーンを行ったニューヨークの広告代理店の前で、デモ行進を行ったのだ。

「航空会社は、私たちを性の対象として仕立て上げます」。創設者の1人であるサンドラ・ジャレルさんはロサンゼルス・タイムズ紙にそう語った。「私たちを洗脳し、それを受け入れさせ、それが当然だと思わせる。そうして私たちは徐々に自尊心を失っていく......。乗客が私たちをプロフェッショナルとして扱わないから、自分でも自分をそう扱わなくなってしまうのです」

グループは特に、「Fly Me(私を飛ばせて)」というコピーが含意するものを嫌って、「Go Fly Yourself!(自分で飛べ!)」と書かれたプラカードを作成した。また、スチュワーデスを性の対象として扱うことが、いかに乗客を危険にさらすかを示すコマーシャルを制作し、放映した。

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闘いはまだ続いている