日経ナショナル ジオグラフィック社

紀元前2600~2300年に、ウルのメスカラムドゥグ王のために作られたと考えられている黄金のかぶと(PHOTOGRAPH BY SCALA, FLORENCE)

埋葬室のなかには、安置台の上に1人の女性の遺骨が横たえられていた。黄金や宝石で作られた護符や宝飾品で覆われ、頭には20枚の黄金の葉と、ラピスラズリやカーネリアンのビーズで作られた精巧な髪飾りと大きな金の櫛(くし)を着けていた。

遺骨のそばに置かれていた円筒印章から、この女性はプアビ女王であると特定された。印章には彼女の夫に関する記述がないことから、一部の専門家は、女王が単独で国を治めていたのだろうと考えた。女王の横には、2人の従者の遺骨が付き従っていた。また、一緒に埋葬された銀の化粧箱には、コールと呼ばれる、アイライナーに使われる黒い粉が入っていた。

重い木の収納箱を移動させると、そこには大きな穴が口を開けていた。発掘隊が高鳴る期待を胸に中に入ると、下にもう一つ、広い部屋があった。ここでの埋葬と儀式の様式は、上の女王の部屋のものとよく似ていた。

埋葬室へと続く傾斜路には、6人の兵士の遺骨が2列になって横たわっていた。部屋のなかには、それぞれ3頭の牡牛に引かれた2台の牛車があり、その横には御者の遺骨もあった。

部屋の奥には9人の女性の遺骨が横たわり、壁に頭をもたせかけていて、全員が多くの宝飾品で飾られていた。埋葬室と平行に作られた通路にも、さらに多くの女性と武装した兵士の遺骨が、やはり列になって並んでいた。

ウーリーは、これがプアビ女王の夫の墓であると考え、PG789号墓と名付けた。夫が先に死んでここに埋葬され、その後に死んだ女王の墓を作った者たちが、夫の墓の財宝を盗み、穴を重い木箱で隠したのではないかと考えた。

服毒に加えて外傷の痕が

ウーリーの発見によって、シュメール王室の埋葬儀式について様々なことが明らかになった。

シュメール人に殉葬の習わしがあったことは間違いないようだ。プアビ女王の墓からは25人、その夫の墓からは75人の殉葬者の遺骨が発見された。ほかにも、「偉大な死の穴」と名付けられたPG1237号墓からは、74人の殉葬者が見つかった。

殉葬された人々は、埋葬の前に自ら毒を飲んだと考えられるが、なかには外傷の痕がある遺骨もあった。発掘が終わる頃には、ウーリーは、古代ウルの王と女王の残酷な埋葬儀式を詳しく説明できるだけの十分な証拠を集めていた。

ウルで出土した像の土を丁寧に取り除く、考古学者のレオナード・ウーリー(PHOTOGRAPH BY BRITISH MUSEUM/SCALA, FLORENCE)

16基の王族の墓に加え、約600の小さな墓も発掘された。これらを調査した結果、墓は紀元前2600~2300年ごろのものとされた。ウーリーは、過去の多くの発掘で起きたような、修復不可能なダメージを遺跡に与えないよう、慎重に作業を進めた。

彼の発見は、それまでの、そして現代における古代メソポタミア文明の見方に大きな影響を与えた。遺跡の複雑さ、王族の存在、殉葬者の証拠などは全て、そこに複雑な政治と宗教文化があったことを指し示し、はるか遠い古代文明に関する熱い議論を引き起こすことになる。

(文 MANUEL MOLINA MARTOS、訳 ルーバー荒井ハンナ、日経ナショナル ジオグラフィック)

[ナショナル ジオグラフィック 日本版サイト 2022年5月1日付]