関係構築力を磨いた外交官時代

――10年間、外交官として様々な経験をされています。外交官の仕事を通して、何を得られましたか。

外交って派手なイメージがあるかもしれませんが、すごく地道な「総合格闘技」なんですよ。「100:0」で勝ってしまったら、歴史に刻まれる怨恨を他国に残すことになってしまう。「51:49」ぐらいで、気持ちよく相手に「YES」と言ってもらうためにどうしたらいいかを考えないといけない。

2年目に経済連携協定で交渉された内容を条約の文言にする仕事を担当していたのですが、相手国側の文書も細かくチェックし、「ここは合意事項が反映されていないようですが、大丈夫ですか?」と気付いたことを情報共有し、誠実に対応したことから、相手国側から「鈴木さんが直した通りで信用するから、それでいい」と言ってもらえました。今のVCの仕事にもつながる関係構築力の土台は外務省で磨かれました。

――思い出に残る「失敗」はありますか。 

同じく2年目の話ですが、残業があまりに重なった結果、誕生日に休日出勤しようとして体がしびれて動かなくなってしまったということがありました。「俺がやらなきゃ誰がやる」という使命感で、こぼれ落ちている仕事を全部拾っていましたが、結果的にどれも満足にできず迷惑をかけそうになりました。その時に上司から「俺がやらなきゃ誰かやる」という楽観も時に必要だと諭されました。大きな仕事は個人が使命感で背負うものではなく、チームで取り組むものですし、個人の使命感が組織の使命を阻害する可能性もあることを学びました。

――なぜコンサルへ転身したのですか。

きっかけは転職エージェントからメールや速達で「コンサルに興味はありませんか?」と連絡がきたことです。週末に1日コンサル体験ができるというので試しに行ってみたら面白かったので、選考を受けてみた。そしたら面接1回目で落ちてしまい、無性に悔しくなってしまって(笑)。職場の元先輩のツテをたどって、マッキンゼーを受けました。

もともと学生時代から、「霞が関」というある面では特殊な環境でしか生きられない人物にはなりたくないと思っていましたし。でも外務省や大企業にいると人生を自分で選びにくい。基本的に人事は上から降ってくるもので、いつ赴任先や担当業務が変わるかわからないボラティリティーにさらされるか、どう生きるかを自分で選択できる道に行くか、家族に相談して決めました。

加えて、外務省で最後に担当していたアフリカ開発会議(TICAD)は調整がとても大変で、「やり切った」という感覚もありました。しかし同時に「やり切ったから何?」「日本に何の意味があるの?」という思いも強くなってきた。日本企業の海外進出は政府がどんなに政府開発援助(ODA)を付けても、企業の戦略にも合致しないと進まない。それなら企業戦略を作る方に回りたいと考えたのも大きな理由です。

マッキンゼーで「マイナス評価」をくらったが…

――マッキンゼーでは当初、なかなか成果が出せなかったそうですね。

途中からマイナス評価をくらって、うまくいかない時期がありました。弱いと言われたのは「問題解決能力」です。今思えば、官僚の仕事の癖から脱却できていなかったのかもしれません。コンサルは本来、クライアント企業にとってベストな「あるべき姿」を考えなければならないのですが、現実的な制約を考えてしまい、「落としどころから考えがち」と指摘されて。あまりにうまくいかないので入社3年目で「辞めようか」と思ったときもありました。

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