日経Gooday

五輪出場で、自分の視点と目標が明確に変わった

――引退会見で、ご自身の陸上競技の原点は2008年に出場した北京五輪女子100mだとおっしゃっていましたが、このターニングポイントで一番何が変わりましたか。

そうですね。北京五輪では1次予選敗退でしたが、当時の100mの自己ベスト11秒36を出せば2次予選に進めると分かりました。自分の世界での位置を把握したことで、「これからの陸上人生は、世界を相手に戦おう」と目標が明確になりました。気持ちが一番変わったと思います。モチベーションが上がって、普段のトレーニングがより良いものになったのではないかと。

――その2年後の2010年には、今も破られていない日本記録の11秒21をマークされます。振り返ってみてトレーニングにおける要因はなんだったと思いますか。

競技人生の後半のほうが、自分の中では綿密に考えたトレーニングに取り組んでいたので、要因はトレーニングだけでなく、若さや勢い、モチベーションも大きく影響したように思います(笑)。北京五輪を経験したことで、この先の自分は上昇するイメージしかなかったし、五輪経験者が現役の短距離女子選手では私1人だったので、国内で負けるイメージもありませんでした。

当時は北海道ハイテクACに所属して寒い地域で練習していましたが、室温が20℃に保たれた直線130mのインドアスタジアムで、季節や天候に関係なく練習ができていました。そこに数々のトップアスリートを育てた恩師の中村宏之元監督(現恵庭北外部コーチ)による指導があり、先輩でインターハイ優勝者の北風沙織さん(現 北翔大学陸上競技部監督)や東京五輪女子100mハードル代表の寺田明日香選手もいて、高い刺激を得られる環境だったことも関係あると思います。

――陸上男子短距離選手は、切磋琢磨(せっさたくま)できる選手層の厚さから全体のレベルが引き上がって、4×100mリレーにおいて世界と戦えるようになったと思います。福島さんが日本選手権を連覇する状況になり、なかなかほかの女子選手のレベルが追いついてこないことに対しては、どのように感じていましたか。

陸上を始めてから自分の記録との戦いだけに集中していたので、当時は、リレーにおける他の選手のレベルがどうなのかなどと考えることはありませんでした。チームプレーに向いていないですよね。個人競技を選んでよかったと(笑)。

リレーに全てを懸けているわけではなかったですが、リレーは自分がどう戦うかといった一人ひとりが高い意識を持てば状況やレベルは変わってくると思います。そして、選手同士がリスペクトし合えているからこそ、いざ団結したら同じ目標、方向を見ることができるのが、チーム戦となる理想のリレースタイルだと思います。

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意識の仕方を変えるだけで、走る練習のバリエーション