福島千里さん 日本記録が出ても世界から見ると挑戦者
元トップアスリートに聞く(上)
鋭いスタートとピッチを生かした走りで100m(11秒21)と200m(22秒88)の日本記録を樹立し、長年、トップを走り続けてきた陸上競技女子短距離界の女王・福島千里さんが、2022年1月末に現役引退を発表した。2008年の北京大会から3大会連続で五輪に出場。日本選手権では、2011年から6年連続で100mと200mの2冠を達成したが、近年は、両足のアキレス腱(けん)痛や太ももの肉離れに悩んで不振が続き、東京五輪で駆け抜ける姿を見ることはかなわなかった。今回は、福島さんに3回にわたって話を聞く。1回目は、引退を決意した理由と、日々のトレーニングで彼女が大切にしてきたことについて語ってもらった。
――今はどのような生活を送っていますか。
2021年4月から千葉県印西市の順天堂大学大学院スポーツ健康科学研究科で勉強しており、引退するまで同大学のグラウンドで練習していました。今は練習していませんが、同級生がまだ現役で走っているので、私もほぼ毎日グラウンドに行く習慣を続けています。走っている学生を見ているだけで、「頑張っているな」とほほ笑ましくなって癒やされています。たまに一緒に走ると血が騒いで、現役時代と同じように、「もう少しこうしたら速くなるかな」「もっとうまく走れないかな」と考えてしまいますね。
――長年悩まされた両足のアキレス腱痛は?
痛みが出るような激しい練習がなくなったので、痛みはまったくありません。
毎年引退が頭をよぎるなかで、現役を続けられた理由
――引退を決めるまでの経緯について、聞かせてください。
2021年秋の全日本実業団[注1]が終わってからマネージャーなどに相談して1カ月ほど悩んだ末、11月に指導を受けていた山崎一彦コーチ(順天堂大学スポーツ健康科学部教授、同大学陸上競技部監督)に相談しました。「自分でそう決めたのなら」と言っていただき、引退する決意が固まりました。陸上人生の集大成と考えていた東京五輪が終了したのと、ここ数年苦しいシーズンが続き万全の状態で走ることができなかったので、現役生活に区切りをつけるのはこのタイミングかなと思ったのが引退の理由です。
[注1]第69回全日本実業団対抗陸上競技選手権大会
――近年、引退が頭をよぎることは多かったのでしょうか。
そうですね。日本陸上競技選手権が終わった後のインタビューで、毎回メディアの方に「これからどうしますか?」と質問され、「考えます」という返答の繰り返しで、私自身、「いつ最後の大会になるか分からないな」とずっと感じていました。それでもやめなかったのは、自国開催の五輪を目指さないわけにはいかないという自分の気持ちと、どんな結果だったとしても走り終わった後に、「もっとこうしたいよね」「もっとこうだったら」とコーチやトレーナーが次につながる希望を持たせてくださったこと、その理想に向けて一生懸命にサポートしてくださったことが大きいと思います。
近年は満足する走りが一切できていなかったので、少しでも何か形に残したいと思い、大目標だった東京五輪が終わっても、秋の全日本実業団までは頑張ることにしました。
――長年、悩んで迷ったうえの引退なのですね。決断した後は、どのような感情が湧いてきましたか。
体が楽になった開放感や寂しさなど、いろんな感情が湧いてきました。最善を尽くして、やれることはやりました。でも、結果には結びつかなかった。だから、スッキリしたという達成感はありません。でも時間をかけて、「あのときは、よく頑張ったな」と思えればいいかなと思っています。
五輪出場で、自分の視点と目標が明確に変わった
――引退会見で、ご自身の陸上競技の原点は2008年に出場した北京五輪女子100mだとおっしゃっていましたが、このターニングポイントで一番何が変わりましたか。
そうですね。北京五輪では1次予選敗退でしたが、当時の100mの自己ベスト11秒36を出せば2次予選に進めると分かりました。自分の世界での位置を把握したことで、「これからの陸上人生は、世界を相手に戦おう」と目標が明確になりました。気持ちが一番変わったと思います。モチベーションが上がって、普段のトレーニングがより良いものになったのではないかと。
――その2年後の2010年には、今も破られていない日本記録の11秒21をマークされます。振り返ってみてトレーニングにおける要因はなんだったと思いますか。
競技人生の後半のほうが、自分の中では綿密に考えたトレーニングに取り組んでいたので、要因はトレーニングだけでなく、若さや勢い、モチベーションも大きく影響したように思います(笑)。北京五輪を経験したことで、この先の自分は上昇するイメージしかなかったし、五輪経験者が現役の短距離女子選手では私1人だったので、国内で負けるイメージもありませんでした。
当時は北海道ハイテクACに所属して寒い地域で練習していましたが、室温が20℃に保たれた直線130mのインドアスタジアムで、季節や天候に関係なく練習ができていました。そこに数々のトップアスリートを育てた恩師の中村宏之元監督(現恵庭北外部コーチ)による指導があり、先輩でインターハイ優勝者の北風沙織さん(現 北翔大学陸上競技部監督)や東京五輪女子100mハードル代表の寺田明日香選手もいて、高い刺激を得られる環境だったことも関係あると思います。
――陸上男子短距離選手は、切磋琢磨(せっさたくま)できる選手層の厚さから全体のレベルが引き上がって、4×100mリレーにおいて世界と戦えるようになったと思います。福島さんが日本選手権を連覇する状況になり、なかなかほかの女子選手のレベルが追いついてこないことに対しては、どのように感じていましたか。
陸上を始めてから自分の記録との戦いだけに集中していたので、当時は、リレーにおける他の選手のレベルがどうなのかなどと考えることはありませんでした。チームプレーに向いていないですよね。個人競技を選んでよかったと(笑)。
リレーに全てを懸けているわけではなかったですが、リレーは自分がどう戦うかといった一人ひとりが高い意識を持てば状況やレベルは変わってくると思います。そして、選手同士がリスペクトし合えているからこそ、いざ団結したら同じ目標、方向を見ることができるのが、チーム戦となる理想のリレースタイルだと思います。
意識の仕方を変えるだけで、走る練習のバリエーションは増える
――勝って当たり前のような状況になって、トップを維持し続けるプレッシャーはありましたか。
世界から見ると私はまだまだ挑戦者だったので、プレッシャーを感じたり、モチベーションが下がったりしたことは、あまりなかったと思いますね。
――モチベーションという言葉が出てきましたが、妥協せずに日々の練習を積み重ねるために意識したことは?
日々のトレーニングは地味ですが、自分のやり遂げたかった目標が決して簡単ではなく、さぼって突破できるものだと思っていないことが大前提にあるので、「積み重ねが一番大事」という意識が働きます。だから妥協せずに集中して練習できたと。やる意味を考えるというより、やらない意味がないという感じでしょうか。
周囲から見るとただ走っているだけでも、「今日は足の回転のピッチを速くしてみたけど、どうだろう」「ストライドを広げてみたらどうかな」など、意識の仕方を試す方法が本当にたくさんあるんです。
何を意識するかはコーチと決めることもあれば、自分で決めることもあります。自分の感覚だけではなく、コーチから客観的な意見が欲しいときもあるので、タイムを基準にしながら、自分の感覚と周囲から見たフォームのすり合わせを大事にしていました。自分の感覚とタイム、周囲が感じたことが必ずしも一致するわけではないですが、私だけでなく短距離のトップアスリートは、「フォームをこう変えると、どんなタイムが出るんだろう」「こんなふうに走ったら、どんな感覚になるかな」という、自分の体を使った実験を楽しんでいると思うんですよね。ウエートトレーニングで筋肉をつけて新たなフォームを身に付けても、結果には結びつかないかもしれません。でもその失敗を含めた成長をどんどん遂げなければ、自己ベストの壁は突破できない。新しい感覚と出合うためには、たくさん試さなければいけないし、大きな冒険をしなくてはいけないから本当に難しいのですが、そこが短距離トレーニングの楽しい部分だとも思います。
――客観視や分析をするために、感覚などを記録していたのですか。
記録と言えるほどではないですが、気がついたときに手帳によかった点を書く程度でした。何かに迷ったときは見返しても、参考程度でしたね。記録した通りにやっても同じようには走れないし、それが答えでもないと思っています。
――トレーニングで自分の感覚を意識して大切にし始めたのは、いつごろからですか。
2010年ごろでしょうか。やはり最初の方は、中村監督から出してもらったメニューを一生懸命こなすという感じでした。北京五輪で背が高くてすさまじい筋肉の外国人選手と競う世界のレースを経験して得た肌感覚からいろいろ試してみたいという気持ちが芽生えて、やってみたいことを中村監督に伝えていました。自立心というと聞こえはいいですが、監督を相当困らせてしまったと思っています(笑)。
(次回に続く)
(ライター 高島三幸、写真 厚地健太郎、ヘアメーク 高柳尚子)
1988年北海道生まれ。北京・ロンドン・リオデジャネイロ五輪日本代表。女子100m(11秒21)、200m(22秒88)の日本記録保持者。日本選手権の100mで2010年から2016年で7連覇を成し遂げ、2011年の世界陸上では日本女子史上初となる準決勝進出を果たした。2022年1月に現役生活を引退。引退後は、セイコースマイルアンバサダー(スポーツ担当)として次世代育成に貢献している。
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