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100年前のツタンカーメン発見 打ち切り寸前だった

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NIKKEI STYLE

ナショナルジオグラフィック日本版

ツタンカーメン王墓の発見から100年――。20世紀に入って始まった「王家の谷」でのツタンカーメンの発掘だが、なかなか実を結ばなかった。長年、調査に携わったハワード・カーターも、資金が残っていなかった。諦めかけたそのとき、1人の作業員が埋もれた階段を発見した。

◇   ◇   ◇

8代目カーナヴォン伯爵夫人、レディ・フィオナ・ハーバートは来客名簿をめくり、彼女の邸宅を100年前に訪れた名士の署名を見せてくれた。ここは英国ロンドンから約90キロメートル西にあるハイクレア城の上階。伯爵家が代々受け継いできたこの城は、英国の人気ドラマ『ダウントン・アビー』の撮影地としても知られる。

彼女は夫の先祖に当たる5代目カーナヴォン卿、ジョージ・エドワード・スタンホープ・モリヌー・ハーバートの伝記を執筆中で、来客名簿はその資料のひとつだ。「5代目」と彼女が呼ぶこの人物は、ツタンカーメン(トゥトアンクアメン)の墓探しに執念を燃やした英国の考古学者、ハワード・カーターのパトロンとして知られる。

伯爵夫人は1920年7月3日の日付を見て手を止め、署名を残した客たちを私に紹介した。「ほら、ハワード・カーターの名前があるでしょう。当然よ。彼は毎夏、何週間もここに滞在して、5代目と発掘の計画を練ったのですもの」

伯爵夫人はアラビア文字も混じる一連の署名を指し示した。「ここを見て......サアド・ザグルール、アドリー・ヤーガン、そのほか近代エジプトの建国の父たち」。ザグルールはエジプトの国民的英雄だが、英国の占領に抵抗して逮捕され、国外追放となった。そんな人物がこの城では英国の名士たちと親交を結んでいたのだ。

伯爵夫人は、5代目が何のためにパーティーを催したのか自分にはわかると言う。「5代目は非公式な場で人々を引き合わせ、個人的な信頼関係を築かせようとしたのです。条約の交渉をしたり、政治的な危機を解決したりする前にね。友情だって芽生えたかもしれません」

5代目カーナヴォン卿は生まれつき体が弱かったうえ、自動車事故で危うく命を落としかけて肺に重傷を負った。そのため医師の助言で、1903年からエジプトのナイル川流域で冬を過ごすようになった。エジプトの砂漠の空気を吸うのは、シャンパンを飲むように爽快だと、本人はご満悦だった。

砂漠の空気に負けないほど、この地の遺物に魅せられるまでに、さほど時間はかからなかった。1907年、カーナヴォン卿はハイクレア城にある遺物のコレクションを拡充しようと、発掘調査に自ら資金を提供し、カーターを現場監督として雇った。

カーターは17歳で英国からエジプトに渡った。考古学の正規の教育は受けていなかったが、絵の才能に恵まれていた彼は、遺物の模写をするうちに鋭い鑑定眼を身に付けた。そして1899年、エジプト考古局に2人しかいない主任査察官の1人に抜擢(ばってき)されることになった。

そんなカーターの人生を一変させる出来事が起きたのは1905年。きっかけは、フランス人観光客の一行と「乱闘騒ぎ」を起こしたことだった。このトラブルが外交問題に発展することを恐れて、上司はカーターに謝罪するよう指示したが、カーターはこれを拒否。自分の名誉を守るためには辞職するしかないと考え、数カ月後に考古局を去った。

その後は、水彩画を描いて裕福な観光客に売り、どうにか生計を立てていたが、運良く2年後にカーナヴォン卿に紹介された。カーターとカーナヴォン卿が手を組んだことで、それまで3000年以上も忘れ去られていた少年王の発見に道が開かれたのである。ツタンカーメンの墓の発見は考古学史上屈指の偉業だった。この発見は、ナイル川流域に燦然(さんぜん)と輝く古代文明が栄えたことを世界に知らしめ、現代のエジプト人に新たな民族的誇りをもたらし、民族自決の運動の興隆にもつながった。

難航した発掘調査

ツタンカーメンの墓の在りかを示す重要な手がかりは、20世紀初めに「王家の谷」で見つかった。王家の谷はナイル川を挟んで古代エジプトの都テーベ(現ルクソール)の対岸にある、岩壁がそそり立つ谷だ。より古い時代の王が眠る巨大なピラミッドは盗掘者の格好の標的となったが、テーベに都を置いた王は、人里離れたこの谷にひっそりと埋葬された。

20世紀に入った頃には、王家の谷は遺物の出土数が最も多く、最高の発掘現場と考えられるようになっていた。米国の実業家セオドア・デイビスが資金を提供した調査では重要な発見が相次ぎ、ツタンカーメンという謎めいた名が記された遺物も数点見つかった。

カーターは考古局の主任査察官時代に王家の谷について詳しい知識を得ていたが、カーナヴォン卿と組んでこの谷で調査を行うには許可が必要で、谷の発掘権はデイビスが独占的に握っていた。

王家の谷ではそれまで何十年も考古学者や秘宝探しのハンターらが発掘を行ってきたため、めぼしい遺物はほとんど掘り尽くされたと考える人が多かった。自分が出資した発掘調査で何年も成果を上げてきたデイビスも、そろそろこの谷に見切りをつけかけていた。デイビスが発掘権を手放すと、カーターに促されてカーナヴォン卿がすぐさまその権利を得た。それは1914年6月のことだ。

それからまもなく、第1次世界大戦が勃発。欧州ばかりか、中東にも戦火が広がったため、本格的なツタンカーメンの墓探しはお預けになった。ようやく発掘が再開されたのは1917年の秋だ。その後の5年間でカーターとエジプト人の作業員らは15万~20万トンもの岩片を運び出した。砂漠の太陽の下で、土ぼこりと汗にまみれて行う発掘作業は過酷を極めた。

5年間もの苦労のかいもなく、墓は見つからずじまいで、カーナヴォン卿の発掘熱は冷めかけていた。やはり王家の谷は掘り尽くされたのかもしれない。そう考えた彼は1922年6月、カーターをハイクレア城に呼んで、谷の調査を打ち切る意向を告げた。カーターはもう1シーズンだけ掘らせてほしいと懇願し、自費でいいから調査を続けたいと訴えた。これには卿もやむなく折れ、同年10月28日、カーターはルクソール入りした。そして、その7日後、偶然の発見が希望をもたらし、程なくしてカーターは一躍「時の人」となったのである。

大発見の瞬間

11月4日、カーター率いる発掘隊の作業員が何気なしに目を留めた石に、人為的に削られた痕跡があることに気づいた(残念ながらこの作業員の名は記録に残されていない)。その石は埋もれた階段の一番上の段だった。カーターは手帳に記していた日誌に手短なメモを残した。「墓の階段の1段目を発見」

翌日、さらに掘り進むと12段の階段が現れ、それを下ると、全面にしっくいを塗った扉があり、王家の紋章で封印されていた。カーターは手つかずの王墓を発見できたと確信し、英国イングランドにいるカーナヴォン卿に電報を送った。「ついに谷で素晴らしい発見あり。無傷の封印が残る壮麗な墓」

発見のニュースは瞬く間に広がり、墓を開ける瞬間を目にしようと報道陣が谷に詰めかけた。カーナヴォン卿が現地入りしたのは11月23日。24

日までには、発掘隊の作業で墓の入り口全体が姿を現し、封印のいくつかには、彼らが長年求めてやまなかった名が記されていた。「ネブケペルラー」。ツタンカーメンの即位名だ。

カーターらは大喜びしたものの、次なる発見が祝賀ムードに水を差した。入り口に何者かが侵入した跡が残されていたのだ。

扉をこじ開けると、そこは財宝でいっぱいの墓ではなく、岩片で埋め尽くされた傾斜路だった。さらに2日をかけて岩片を除去し、地下7メートルほどの深さにある墓の入り口にようやくたどり着いた。そこにもまた、しっくいを塗った扉があり、ツタンカーメンの名を記した封印が施されていた。カーターはその扉に小さな穴を開け、火をともしたろうそくを穴に入れて、中をのぞいた。その後に交わされた会話は、よく知られている。「何か見えるかね」とカーナヴォン卿に聞かれて、カーターはこう答えた。「はい。素晴らしいものが」

彼がのぞき見たのは、目を奪うような副葬品の数々だった。黄金の寝台、等身大の護衛の像、解体された戦闘用馬車、豪華な装飾を施した玉座。こうした品々が乱雑に詰め込まれていた。カーターは後にこう記している。「しだいに目が慣れて、室内の詳しい状況が見えてきた。奇妙な動物たち、彫像の数々、黄金。あらゆる場所に黄金のきらめきがあった」

その後、程なくカーターは知ったのだが、ツタンカーメンの墓は4つの部屋から成り、現在ではそれぞれ前室、付属室、宝庫、玄室と呼ばれている。王墓としては例外的に小さな墓だが、死後も永遠に王にふさわしい生活ができるよう、さまざまな副葬品が納められ、その数は約5400点にのぼる。

目の前にあったのは価値ある遺物の山だが、その多くはすでに破損していたか、もろくなっていた。積み上げられた遺物を一つずつ取り出し、番号を振って分類・記録し、保存し、運搬する作業は結局、10年を要する骨折り仕事となった。しかもこの大仕事には、修復保存のプロや建築家、歴史家、言語学者、植物や織物の専門家が必要だった。この事業をきっかけに、エジプト学は厳密な科学研究の時代に突入した。

(文 トム・ミューラー=ジャーナリスト、写真 パオロ・ベルゾーネ、日経ナショナル ジオグラフィック)

ナショナル ジオグラフィック 日本版 2022年11月号の記事を再構成

ダイジェストで紹介した記事は、ナショナル ジオグラフィック日本版2022年11月号の総力特集「ツタンカーメン 不朽の魅力」です。このほか、砂漠の真ん中に首都を建設するエジプト、太平洋の南ライン諸島で回復するサンゴの楽園、荒ぶる火山と共生する島民などを取り上げています。 Twitter/Instagram @natgeomagjp
  • 出版 : 日経BPマーケティング
  • 価格 : 1,250円(税込み)

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