2021/11/16

「時短だから」 内なるバリア破り育ててくれた上司

――2001年の育休復帰後、人事畑へ。女性の活躍を推進するため、13年に始めた育休中社員向けの研修では、最初は緩やかであってもキャリアビジョンを持つように話し「それなりの人で戻ってきては困る。成果を出そう」と期待を込めて厳しいことも伝えてきた。だが、実は「育児のための時短勤務で働いているし、(できないことがあったって)しょうがないんだもん」と思っていた時期も。内なるバリアを破り働く基盤をもたらしてくれたのは、いまは社外で活躍する女性上司の一喝だった。

育休復帰後は時短勤務をしている負い目がありました。「すみません。子どもが熱を出したので」と仕事を割り振りしてカバーしてもらい帰宅したことも。そんな30代半ば頃のことです。知らず知らずに「時短なんだし」と甘んじて、ひとごとのように仕事をしていた自分の目を覚ましてくれた方がいます。当時の部長であった女性の上司の方です。

その頃は中途採用のほか、オフィス内のパートタイムの方や派遣社員の方の採用を担当していました。人がなかなか充足しなくて、様々な部門から「人をくれ」と要望が相次ぎ、毎日追いつかないような状況でした。

ほかの仕事もあって、仕事量だけは時短のなかでも大変だった。さらに人の配置でもいろいろあって、部門から要望があっても「しょうがないでしょう、このご時世だから」とか、派遣会社から連絡が来ないからまだいいだろうとか、状況報告を先延ばしにしていたんです。そんなとき、皆がいる自席で「他部門に迷惑をかけている」と、その方にすごく怒られました。

「なんでなの。なんでなの」。あまりの剣幕(けんまく)に、横にいた本部長が「まあまあ、いいじゃないか」ととりなそうとしてくれましたが、「いや、よくない」と。「これ、どうなってるの。なんでできていないの? 期限を過ぎているじゃない」。自分が悪いのですが、なんの言い訳もできないくらいに怒られました。

人事は他部門に対して依頼や調整が多いです。その上司はとても丁寧な方で、他部門とのコミュニケーションを大切にしていらっしゃいました。私は当時、「時短の自分が担当するのはちっちゃい仕事だから、まあいいや」と思っているところがあったのだと思います。その1件で、ちっちゃかろうが大きかろうが、自分の仕事は責任を持ってやらなければいけないという当たり前のことに改めて気づかされました。

――彼女とは「今もつながっています」。仕事は時間でなく成果、ということを身をもって示してくれたのも彼女だった。

当時の私は、子どもがいることは働き方に制限がかかるからマイナスになると考えていました。けれど、その方はそうしたバイアスがなかったのでしょう。面談でも「これとこれとこれはしっかりやろう。これだけできたら評価はAです」と時間ではなく、成果でバシッと出せばいいと説いてくれました。

叱ったら叱りっぱなしじゃなくて、「ほらできたじゃない」「さすがだね」といった言葉もかけて育ててくださいました。その後の上司が、子育ては育成の観点で人をみるのにプラスになっていると褒めてくださったことも。おかげで「私なんか」という気持ちはなくなりました。

――目が覚めた一件にはおまけがある。15年に人事企画部長に就任。顧問となった当時の本部長が東京・銀座のシャンパンバーで祝う会を開いてくれた。そのときだ

「申し訳なかった」と頭を下げられたのです。「ぼくはあなたのお子さんが小さいときに『多分、山口さんは子育てに時間を取りたいだろう』と勝手におもんぱかって、ぼくのサポートとか軽めの仕事を実は与えていました。それでムダな時間を過ごさせてしまったことを本当に申し訳なかったと思っている」と。

私自身はキャリアロスになったとか全く思っていませんでした。それでも、その方はご自身のアンコンシャスバイアス(無意識の偏見)に気づかれたようで、実は部長就任祝いよりおわびの会を開きたいと思っていらしたとか。「もう部長になったんだから、ここからは突っ走りなさい」と応援の言葉をかけてくださいました。その方にも折々、近況報告をしています。歴代上司を含め人間関係には本当に恵まれました。

――「学び」でも自身を磨いてきた。内なるバリアを破ってくれた女性上司に「面接で話を聞き出すのがうまい」と褒められたことから、コミュニケーションスキルを磨こうと講座に通い、国家資格であるキャリアコンサルタントの資格保有者に。ローソン時代は部長職向け選抜研修で一橋大学大学院のMBA(経営学修士号)カリキュラムからの抜粋講座に参加。より体系的に知識を習得したいと18年4月から中央大学大学院戦略経営研究科で学び、MBAも取得した。図らずも在学中の19年、人事畑からラストワンマイル事業本部(現・新規事業本部)の部長に異動する。

そろそろ異動があるだろうなとは思っていましたけれど全く畑違い。事業をイチからつくるような仕事でした。あのとき学んでいなくて、スキルや武器を持ち合わせていなかったら、本当に何もできなかったと思う。大学院の先生や仲間たちは、学びを生かせるいいチャンスじゃないかと応援してくれました。

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