日経ナショナル ジオグラフィック社

「神の声を聞いた」ジャンヌ・ダルク

1429年2月、フランスの王位継承者シャルル・ド・バロワの前に、17歳の農民の娘が歩み出た。ジャンヌ・ダルクだ。そして彼女は、王太子に「神の名においてまかり越しました。あなた様と王国を救うために」と、言った。教会当局の取り調べを受けた後、兵を集めて進撃する許可が与えられた。

当時、フランスと英国は90年以上にわたって戦争状態にあり(いわゆる「百年戦争」)、フランスは領土の多くを英国に奪われていた。しかも古くからフランス国王の戴冠式が行われていたランスまで失い、シャルルは王位に就くことさえできない有り様だった。しかし、信心深い少女がこの絶望的な状況に一筋の希望をもたらした。

1431年にジャンヌ・ダルクは火あぶりの刑に処された。そのとき、牧師に十字架を掲げてほしいと頼んだ(Image courtesy of Photos.com / Getty Images)

ジャンヌが率いる軍勢は包囲されていたオルレアンの町を解放し、ロワール川沿いにあったほかの町からも敵を一掃した。1429年7月にランスで、ついにシャルル7世の戴冠式が行われた。だが、そこから戦いはフランスの劣勢へと転じ、1430年にジャンヌを敵に捕らえられてしまう。

英国側は、異端、魔女妖術、悪魔との会話、男装をはじめとする、さまざまな罪でジャンヌを告発。結果、異端と宣告され、ジャンヌ・ダルクは1431年5月30日に生きたまま火あぶりにされた。その後、フランスは徐々に領土を奪い返し、最終的にほぼ完全にイギリス軍を駆逐すると、シャルル7世はジャンヌの異端判決を無効とした。1920年にジャンヌは聖ジャンヌ・ダルクとしてカトリック教会の聖人に列聖された。

ジャンヌが投獄されていたルーアンの塔は今も建っている(Image courtesy of Jules Gervais Courtellemont / National Geographic Creative)

反乱軍のリーダー、唐賽児

13世紀から19世紀にかけて、中国の歴代皇帝を繰り返し脅かした白蓮教(びゃくれんきょう)という宗教結社があった。仏教の教えを基本とし、男も女も皆平等で、仏陀(ブッダ)がこの世に再び訪れると説き、農民たちの心をつかんだ。皇帝は白蓮教を邪教として弾圧した。

だが、それは逆効果だった。信者は地下に潜り、反感を募らせ、幾度となく武装蜂起を起こした。白蓮教徒の反乱においては傑出した指導者が何人か現れた。その1人が15世紀の反乱を率いた唐賽児(とうさいじ)である。彼女は不思議な力を使い、魔女だともいわれていた。

秘密結社である白蓮教の集まり(Image courtesy of age fotostock / Alamy Stock Photo)

明王朝の時代、庶民は苦しい生活を強いられ、唐賽児自身も両親と夫を早くに亡くしていたという。信心深い仏教徒だった唐賽児は1420年に農民を集めて挙兵し、明軍を相手に善戦した。一部の記録では、紙人形から空飛ぶ悪魔の軍勢を生み出して戦いに勝ったとされている。だが、最終的に反乱は鎮圧された。

唐賽児は逃亡し、二度と見つからなかった。ある話によると捕らえられはしたが、どんな武器を使っても殺すどころか、傷さえつけられなかったという。また別の話では、尼に化け、明王朝側が周辺にいる尼を全員捕らえて一人残らず調べたものの、見つからなかったそうだ。

実在はしなかった? 木蘭(ムーラン)

木蘭は父親の代わりに兵士として戦いに出たといわれる(Image courtesy of Culture Club/Getty Images)

中国では学校で教えるので有名だが、欧米で知名度が上がったのは1998年のディズニー映画『ムーラン』のおかげだろう。彼女の物語は少なくとも6世紀までさかのぼり、11世紀に「木蘭詩(木蘭辞)」として詩集に収められた。この表現豊かな詩によると、木蘭という娘が息子のない年老いた父親の代わりに兵士として従軍し、12年にわたって戦い続けた。

皇帝に武功の褒美を問われ、木蘭は「家に戻るための駿馬(しゅんめ)だけで結構です」と答えた。そして、女性の服に着替えて髪を整えた。見違えた姿に古くからの戦友はどぎまぎした。

ただ、木蘭(花木蘭)が実在したことを示す歴史的証拠はない。

(文 パトリシア S. ダニエルズ、訳 竹花秀春、日経ナショナル ジオグラフィック)

[ナショナル ジオグラフィック 日本版サイト 2022年8月25日付]