全品回収へ追い込まれるピンチに

1927年発売の「かたい・夏用」クレパス

「夏用」と「冬用」が混乱を引き起こした結果、消費者からはクレームが殺到し、同社は全品回収へと追い込まれた。「創業から100年の歴史を振り返っても、このときは大きなピンチだったと聞いています」と大塚氏は話す。

「通年で品質が変わらない素材と配合を何としても見つけなければならないということで、再度の研究開発に3年を費やしました。開発経緯の詳しい部分までは確認が取れませんが、試行錯誤のかいがあり、28年に年間を通して使えるクレパスを発売することができました」(大塚氏)

新生クレパスは大きな反響を呼んだそうだ。当時のパッケージには、商品名の横に小さく「ほんとの」という一言が添えられている。これは、評判にあやかろうと、同業他社が本物と同じ素材組成ではない模倣品に「クレパス」と名付けて売り出す例があったからだという。「本物」を明示する必要があるほどに、新生クレパスは売れたということだ。

風呂敷に商品を詰めて全国行脚

子供たちの自由と自発性を重んじる教育が芽吹いた時代。その流れを追い風に、同社は「看板商品」を生み出した。加えて、営業方法にも独自のこだわりがあった。売り込みのターゲットは学校現場の教師たちだ。図画教育の現場で子供たちに接している教師たちへ、クレパスの価値を徹底的に伝えようと試みたのだ。

「これまでになかった画材であるクレパスの描き心地は、広告を出したり、パッケージで訴えたりするだけでは十分に伝えることができません。色を混ぜたり重ねたりできることで表現の幅がどのように広がるかということも、伝わりにくい点でした。当時の営業担当者たちは風呂敷にクレパスを詰め込んで、全国の学校現場を訪ね歩き、教師一人ひとりに向けて実際に絵を描いてみせながら、その楽しさを説いて回ったそうです。営業担当者の中には、もともと美術を学んだ経験がある人材も多かったようです」(大塚氏)

実際に目の前で使ってみせる「風呂敷行脚」の効果は大きかったようだ。「その後、教育現場で使用する画材として当時の文部省の指定を受けた経緯もあって、全国の学校とのつながりがとても強くなったと思います」(大塚氏)

技術革新が進み、クレパスと同じ「オイルパステル」に分類される画材は他社からも販売されている。それでも「幼少期に教室で使った画材といえばクレパス」という認識を多くの人が共有するに至る源流は、初期のこうした工夫にあった。

現在も「教師の皆さんを本社に呼んで、画材の使い方・生かし方の知識をレクチャーする研修会などを開催しています」と大塚氏。「売って終わり」ではなく、「絵を描くことの楽しさ」という本質を伝える――。そのDNAは、90年以上にわたってサクラクレパスの社風としてしっかり受け継がれているようだ。

(ライター 加藤藍子)