12歳でミュージカルを本格的に始め、声変わりの時期にいったん離れた後、きちんと勉強しようと音楽大学の付属高校に入り、声楽やクラシックを学んだ。留学経験のある兄の影響で16歳の時に米国に留学し、それまでの人生で最大のチャレンジを経験した。

「20歳そこそこでデューしたころ、自分よりも年上の女性ファンに育てていただきました。みなさんミュージカル通で、舞台を見る目が非常に高い。ファンの会やディナーショーなどでトークも鍛えられましたね」 撮影:筒井義昭

日本語に触れる機会がない場所に行け、という兄のアドバイスに従って選んだのがミズーリ州。2000人ほどの生徒が通う大きな高校ではアジア人が見当たらず、初日からいじめに合い、突き飛ばされたり暴言をはかれたり。当初の3カ月間は授業の合間にトイレに隠れていじめから逃れた。当然のことながら友達はまったくできず、異国の地でふさぎ込んでしまった。

つらい留学生活 ダンスで一変

あるときダンスパーティーが開催されると知り、500人ほどが踊る会場に1人で乗り込んだ。「怖くて怖くて……。でも何か行動しなきゃ変わらない、お兄ちゃんに負けたくない、と自分に言い聞かせ、ワーッと叫んでみんなをかき分けて中央に飛び出し、そこで踊ったんです。自分との闘いでした」。まる1曲、無我夢中でジャズダンスを踊りきった。すると歓声と拍手が湧き起こり、皆が集まってきて次々とハグしてくれた。その日から高校生活が一変したという。「まるで映画のようでした」

その時以来、心に刻んだモットーは「怖いところにしか、成長はない」。帰国後は祖父母の介護と声楽の勉強を両立させて音大に進学し、在学中の19歳の時にミュージカル「レ・ミゼラブル」のオーディションでマリウス役を射止めた。20代はミュージカルの世界にすべてをささげ、子供のころから憧れていた「レ・ミゼラブル」「ミス・サイゴン」「エリザベート」「モーツァルト!」という4つのミュージカルに、すべて出演がかなった。

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