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シューマイ5個入りの「シウマイ弁当」が看板商品の崎陽軒(きようけん、横浜市)は首都圏で知名度が高い、今年4月で創業114年の老舗だ。しかし、意外な謎も多い。たとえば、「崎陽」とは何か。なぜ「シューマイ」ではなく「シウマイ」と書くのか。どうして冷めてもおいしいのか。まとめて野並直文社長に尋ねてみた。

宇都宮市と浜松市は「ギョーザの街」として知られる。1世帯あたりの購入額でトップを争っていることでも話題になる。一方、横浜市はシューマイの王者だ。1世帯あたりの購入額は首位で、全国平均の2倍を超える。このダントツぶりの理由に挙げられるのが崎陽軒の存在だ。

おかずがぎっしり詰まった、崎陽軒の「シウマイ弁当」

おかずがぎっしり詰まった、崎陽軒の「シウマイ弁当」

その「シューマイ王国」横浜市に本社を構えていながら、「崎陽軒の『崎陽』とは、長崎の別名」と、野並社長は明かす。確かに、どちらにも「崎」の字が共通している。ちゃんと国語辞書に載っている語義だ。江戸時代の漢学者が中国の地名らしく呼んだのだという。横浜の企業が長崎の別名を名乗る理由は、創業者にある。

創業者の1人だった、第4代横浜駅(現桜木町駅)長だった久保久行は退職後に妻・久保コト(旧姓・野並)の名前で横浜駅構内での営業許可を受けた。当時は主に飲み物やもち、寿司などを売っていて、シューマイは扱っていなかった。久保が長崎県出身だったことが、崎陽軒という名前の由来。「最初のうちは『さきようけん』と間違って呼ばれることもあったようだ」(野並社長)。

やがて弁当や牛丼、カレーライスを扱うようになり、ビジネスは拡大したが、横浜駅で駅弁はあまり売れなかった。地理的に不都合だったからだ。「下り列車の場合、東海道線の始発駅である東京駅で弁当を買ってしまうので、途中駅の横浜では売りにくいという事情があった。上り列車の場合でも、終点の東京駅に近すぎて弁当を買ってもらいにくい」(野並社長)。

シューマイに目を付けたのは、現社長の祖父にあたる野並茂吉。崎陽軒代表社員を務めていた茂吉は、横浜の中華街で突き出しとして提供されていたシューマイに着目。関東大震災後の28年に、ご飯を添えないシューマイだけの折り詰め形式で売り出した。「電車の中で食べやすいよう、一口サイズにしたのが受けた」という。

「もともとは横浜に名物をつくりたいという思いからだった」(野並社長)。小田原のかまぼこや静岡のワサビ漬けのような名物が必要だと、茂吉は考えた。だが、新興都市の横浜にはそれらしい伝統的な食文化が見当たらなかった。

「ならば名物をこしらえてしまおう」と、茂吉は発想を転換した。駅で売りやすい横浜名物の「種」を探して、中華街で出合ったのが豚肉ベースのシューマイ。腕利きの料理人を引き抜いて、折り詰めのシューマイを売り出した。今に至る、崎陽軒のシューマイヒストリーはここから始まった。

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