カンパニーを支えた縁の下の力持ち
福岡では、こんな出来事もありました。今回のカンパニーにはスウィングという役割の俳優さんがいます。茶谷健太君で、男性のアンサンブルの代役を1人でカバーしています。みんなの振りと動きとセリフを全部覚えていて、舞台中も袖に待機していて、誰かに何かあったらすぐ代わりに入れるように準備しているのが仕事です。稽古もみんなと同じようにして、ずっと縁の下の力持ちとしてカンパニーを支えてくれました。
その彼が、博多座で開幕して数日たったとき、「次の作品に行かないといけないので、明日が最後なんです」と挨拶に来てくれました。それまで代役の出番はなかったので、「1回も出なかったね」と言ったら、「スウィングは出番がないのが一番いいことなので、このままいってほしいです」と答えてくれました。それで最後の日に出る機会をつくれないかとスタッフの方とも相談して、昼夜公演のそれぞれで彼が出ることになりました。用意してあった衣装を初めて着て、4カ所くらいに出たのかな。難しいダンスナンバーも完璧に踊っていました。ダンサーは場所も動きも一人ひとり違うので、それをちゃんとカバーしていて素晴らしかったです。
最後にカーテンコールで茶谷君を紹介したのですが、感極まってすごく泣いていました。僕も泣きました。もう20年以上やっているので、初日や千秋楽のカーテンコールでもまず泣かないのですが、久しぶりに。ほかのキャストもたぶん泣いていたと思います。彼のそれまでの頑張りをみんな知っていて、表の舞台に出ずに、振りやセリフを1人だけで覚え続けることの大変さをよく分かっていたので、本当によかったという空気で終わりました。みんなそれぞれに、自分たちがやっている仕事やパフォーマンスの尊さとか、お互いに支えられながらやっていることとか、思うことがあったのではないでしょうか。
スウィングは日本ではまだ定着していなくて、海外でもいろんな形があるようです。週に何回出ると決まっている人もいるし、今回の茶谷君のように出ないタイプのスウィングもいます。でも、この仕事をやっている以上、お客さまの前でパフォーマンスしたいという気持ちは誰しも持っているし、そのために頑張るわけだから、やっぱりお客さんの前でやる機会があるというのは大事なことじゃないかなと、僕は思います。
世の中全体を見ると、コロナ感染がまた広がって、いつ誰が陽性になってもおかしくない状況です。それでも、できるだけ行動制限をせずに社会や経済の活動を回していこうというふうになっているし、以前に比べると人出も戻ってきていて、人々の考え方も変わってきています。その状況と、演劇との相性が今は悪過ぎると感じます。コロナの陽性者が1人出たら活動を全部止めようという世の中ではなくなりつつあるのに、舞台はそうはいかない。軽症が多くなったとはいえ、そうではない場合も多くて、僕自身の感染経験に照らしても、すぐに元通りの体調やパフォーマンスが戻らないという現実もあります。だからこそ何が起こってもいいように、スウィングのようなバックアップを準備しながらやるしかないし、それも人数が多くなったら追いつかないので、本当に厳しいですね。
カンパニーには、コロナ感染のリスクだけじゃなくて、いろんなアクシデントやトラブルも毎日のようにあります。それに対応していったり、その中でお互いが理解を深めたり、気持ちを分かちあうようになるのは、いいことだと思うんです。今は飲み会もできないし、地方に行っても、一緒にご飯を食べたりワイワイ騒ぐこともできないから、前に比べたら深く知り合える機会が少なくなりました。でも、みんなで困難を乗り越えるという意味では、お互いを理解できているし、それ自体は悪いことじゃないのかなと感じています。
ミュージカル俳優にも様々なタイプがいる
僕がMCの1人をやらせてもらっている『行列のできる相談所』(日本テレビ系)では7月17日に初めてミュージカルスペシャルが放送されました。ゲストとして市村正親さん、浦井健治君、昆夏美さん、斎藤司(トレンディエンジェル)さん、ソニンさんに出ていただき、僕がMCを務めました。
バラエティーの王道のような番組でミュージカルの特集をやってくれて、多くの方が見てくださって、反響もすごくあったので、よかったと思います。ミュージカルをもっと知ってほしいという思いはずっとあるのですが、そのときの肝は興味がない人にも面白そうだと思ってもらえるかどうか。難しいのは、ミュージカルを愛するファンの方々からすると、面白おかしくやり過ぎて、すぐに歌い出すみたいなところばかりに特化すると、それは違うでしょとなることです。僕もその気持ちは分かるし、かといってシリアス一辺倒でも楽しめない。そこのバランスが難しいと常々思っていました。
そういう意味では、今回はよいバランスでした。初心者は何のミュージカルから見ればよいのかというQ&Aがあったり、市村さんをはじめそれぞれの俳優にもフォーカスしてもらったし、最後はみんなで歌って、面白おかしくだけじゃない伝え方ができたように思います。僕にしても、番組的にはミュージカル界の大スターみたいなキャラクターになっていたのですが、昆さんに「芳雄さん、歌詞を忘れてましたよ」とツッコまれて、たじたじとなるやりとりがあったりとか、また違った面を紹介してもらえてうれしかったです。
コロナ感染の急拡大で演劇界は厳しい状況ですが、『行列のできる相談所』で特集をしていただいたように、ミュージカルへの注目度が増えているのはありがたいことです。今大事なのは、厳しい状況になんとか対処して、やれることをしっかりやって、元に戻ったときに備えておくことでしょう。その対応力が試されている日々だと感じています。

ミュージカルを中心に様々な舞台で活躍する一方、歌手やドラマなど多岐にわたるジャンルで活動する井上芳雄のデビュー20周年記念出版。NIKKEI STYLEエンタメ!チャンネルで月2回連載中の「井上芳雄 エンタメ通信」を初めて単行本化。2017年7月から2020年11月まで約3年半のコラムを「ショー・マスト・ゴー・オン」「ミュージカル」「ストレートプレイ」「歌手」「新ジャンル」「レジェンド」というテーマ別に再構成して、書き下ろしを加えました。特に2020年は、コロナ禍で演劇界は大きな打撃を受けました。その逆境のなかでデビュー20周年イヤーを迎えた井上が、何を思い、どんな日々を送り、未来に何を残そうとしているのか。明日への希望や勇気が詰まった1冊です。
(日経BP/2970円・税込み)

「井上芳雄 エンタメ通信」は毎月第1、第3土曜に掲載。第121回は8月20日(土)の予定です。