交渉に醍醐味 ブラックストーン日本法人女性リーダー働く女性のキャリアスパイス(7)

結婚や出産で女性が職場から去っていったのは昔の話。ライフイベントも経ながら働き続けていくのが、令和の女性たちに多いワークスタイルだ。とはいえ、ロールモデルが身近にいなくて先行きが見通せなかったり、働き始めた頃とは違って「成長」を実感できなかったりで悩むことも。先輩女性たちはどんな体験をバネにキャリアを築いていったのだろうか。活躍する女性に、自身を今に導いた「あの頃」や迷いを脱する助けとなった「こんな言葉」を語ってもらう。

米投資ファンド大手のブラックストーンは1985年に設立し、いまや世界最大の不動産オーナーに。国内ではアリナミン製薬を傘下に抱えるほか、野村ホールディングス(HD)と組み、日本の個人投資家向けに非上場の不動産投資信託(REIT)の提供を始めた。国内金融機関と協働し今後、未公開株ファンドなど品ぞろえを増やす方針だ。

投資ファンドといえば、米国の金融界のなかでも男性優位の職場だった。ブラックストーンの場合は、2011年にWomen's Initiative(ウィメンズ・イニシアチブ)を設立して女性の活躍を推進。グローバル・アナリスト・クラス(グローバルでアナリスト職階の従業員)の女性比率は、15年の20%未満から22年には半数近くまで上昇した。

投資家としても女性起業家の支援を手がけている。19年以降、女優のリース・ウィザースプーン氏が立ち上げた制作会社のHello Sunshine(ハロー・サンシャイン)、日本国内にもファンがいる、日焼け止めに特化したホリー・サガード氏による美容ブランド、Supergoop(スーパーグープ)など、女性の最高経営責任者(CEO)が率いる企業に100億ドルを投資してきた。

そのなかには、創業者のホイットニー・ウルフ・ハード氏が21年に31歳で新規株式公開(IPO)を果たして話題を呼んだ、マッチングアプリのBumble(バンブル)も。「私たちは、21年に史上最年少での会社上場という歴史的なIPOを成し遂げた女性起業家を支援できたことを誇りに思っています」(ブラックストーン広報担当者)

きょう3月8日は国際女性デー。ブラックストーンでは「世界各地のオフィスで様々な活動の計画」(同)がある。本社を置く米ニューヨークでは、映画上映会のほかアニメーションで知られる米ピクサー元最高財務責任者(CFO)のアン・メイザー氏との懇談会を開催。日本法人では、ひな祭りにちなんで一足早い3月3日に重富隆介代表取締役会長と女性社員らが多様性について語り合う昼食懇談会を開いた。

今回は日本法人におけるウィメンズ・イニシアチブの共同代表として、その昼食懇談会の企画を担った滝沢紗代さんにご登場いただく。

小学2年生から過ごした韓国、並びに小学6年生での帰国後、高校を卒業するまで国内でもインターナショナルスクールに通学。米ペンシルベニア大学を卒業後、米ジョージタウン大学の法科大学院に進み、2006年に修了。米国に本社を置く2つの法律事務所を経て、16年にブラックストーン日本法人に入社した

滝沢さんは米ニューヨーク州とワシントンDCの弁護士資格を持ち、日本法人の法務部門で日本企業の本部長級に当たるマネージングディレクターを務める。時差のある米国本社とのリモート会議もこなしながら7歳の娘を育てる滝沢さんに、仕事での醍醐味やダイバーシティ(多様性)推進での取り組みなどを聞いた。

◇     ◇      ◇

自身の負担で米留学→「自立しなければ」弁護士目指す

父の仕事の関係で小学2年生から韓国へ。現地でインターナショナルスクールに通った。小学6年生で帰国したが、国内でも高校卒業までインターナショナルスクールで学び、大学から米国に。

ずっとインターナショナルスクールに通っておりましたので、「自分の英語力を活用できるようなところで」と考え、大学からは米国で過ごそうと留学を決めました。進学先はペンシルベニア大学で、学んだのは経済学部と国際関係学部です。その後、弁護士の資格を取るためにジョージタウン大学の法科大学院に進みました。

法科大学院へ進学した究極の理由は、経済的な自立を求めたことだった。米国は経済協力開発機構(OECD)の調査でも、大学の学費の高さが指摘されている。日本からの留学にあたり、学ぶ本人が借り手となる学生ローンなどを利用する例も珍しくない。

私は4人きょうだいの末っ子です。母は小学校の教員でしたが、さすがに4人の子どもを育てながら仕事と育児の両立を図るのは難しかったのでしょう。私が生まれる前に母は退職しました。とはいえ、姉2人に兄に私と子どもが4人もいれば、当然、教育費もかかります。ましてや私の場合、米国の大学への進学は自分で決めたことです。「(経済的に)自立しなければ」という思いがずっとありました。

大学の学費をたくさん返済していかなければならなかったので、実は大学時代のあるとき、先生にどんな仕事をしたらよいかコンサルティングみたいなことをしていただいたんです。まず言われたのが、「即、お金がほしいなら金融関係」ということ。

先生はこう続けました。「それほど切羽詰まっていないなら、長い目でみると法務関係が君には良いのではないか。君の能力に一番適していて、社会に貢献できる仕事は法務の方があるかもしれないよ」。なるほどなぁと、それなら弁護士を目指そうと思いまして。米国の場合、弁護士資格の取得には法科大学院を修了することが必要なんですね。追加でさらに学費の負担が増える訳ですが、そういういきさつから法科大学院に進みました。

4人きょうだいの末っ子。米国留学での学費などを自身で負担しようと経済的自立を模索するなかで、「社会に貢献できる仕事は法務の方があるかもしれないよ」といった米ペンシルベニア大学での恩師の助言が法科大学院への進学につながった
次のページ
「目の前の仕事をなし遂げる」に集中し続けた、あの頃