
東京・銀座のビル9階にある「和食鉄板 銀座朔月」(東京都中央区)。日本料理と鉄板焼きがこの店の売りだ。開業時から、使う和牛は山形牛ひと筋。2店舗を統括する大網幸治総料理長は「神戸牛や宮崎牛など開業前にいろいろなお肉を試してみたのですが、ステーキにして食べてみるとやっぱり自分は山形牛が一番おいしいと感じたんですよね」
山形牛の特長を教科書的に言うと、「深い味わいとまろやかな脂質が魅力」(山形肉牛協会ホームページ)となる。夏暑く冬寒い、さらに昼夜の寒暖差が大きいという気候的な特徴の中で肥育された黒毛和種は肉のキメが細かく、脂質がおいしさの秘密だと説明されている。
とはいえ、生き物である牛は1頭1頭異なる。「自分の料理に百点満点をつけたことは、これまでの30年の料理人人生の中で数えるほどしかない」という厳しい選定眼を持つ大網総料理長だけに、赤身や脂の状態はすべて自分の目で確かめないと気がすまない。「毎日、こんな感じでやりとりしているんですよ」とスマートフォンの画面を見せてくれたが、そこには見事な断面の山形牛のブロックが映っていた。「牛も個性があるので毎回毎回、違うんです。お肉屋さんと1頭1頭についてやりとりしているお店は珍しいんじゃないですかね」。こうして交流を深める中で、次第に「朔月が求める肉」とは何かが定まってくる。

実は大網総料理長、当初からステーキを扱っていたのではなく和食の職人としてキャリアをスタートさせた。「和食におけるお肉はしゃぶしゃぶとすき焼きなんです。ですので、ステーキにするためのお肉のことや熟成加減などは手探りで勉強していきました」という。開業して鉄板の前に立った初日、「お客様から『料理長、この肉はオス? メス?』や『鉄板の厚さは何センチ?』など、想定外のことをいろいろ聞かれて冷や汗をかきました」と笑いながら振りかえる。
以来、肉と向き合う日々が続く。開業当初は、シャトーブリアンなどの柔らかめの部位が人気だったが、現在は断然、赤身。サーロインでも脂身が少なめのところを求める客が多い。こうした変化を肌で感じながら提供している。
肉は熟成するにしたがって細胞が開いてくる。と畜してすぐは細胞がしまっているため硬いが、だんだんと広がってきてそこからうまみが出てくるという。熟成が進みすぎると腐敗につながる。「いい加減」のところの見極めが勝負。「霜降りの『A5ランク』をお出しすれば喜んでいただけるという時代ではなくなりましたから。自分でも満足することなく、ずっといい肉を探し続けています」
店で取材をしていてあることに気づいた。30席ほどの店内はテーブルとテーブルの間隔が非常に広く、段差のないフラットなつくりなのだ。テーブルの間隔があいているのは、新型コロナウイルス対策として始めたのではなく、車椅子がスムーズに行き来できるためだ。