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「小学生の頃はいわゆるガキ大将だった」というJリーグチェアマンの野々村芳和氏(50)。サッカーもどのチームでもキャプテンを任されてきたが、リーダーとして何をすべきか真面目に考えるようになったのはプロ選手として現役の終盤になってからだった。

――刺激を受けたリーダーとして、2000年に野々村さんを北海道コンサドーレ札幌に移籍させた当時の岡田武史監督(現FC今治会長)の名をよく挙げますね。そこからリーダーシップに目覚めたと。

「覚えているのは、チーム全員の前で『これからはピッチ上で野々村が話すことは絶対だ』と岡田さんが言ってくれたこと。プレスをかけるタイミングとか、すべての判断を僕に委ねるから周りはそれに従えと。そこまで信用されているんだと、その言葉一つで変われた感覚があった」

「岡田さんにそんなことを言われた29歳の頃、受けたインタビューを昨年たまたま見る機会があった。どんな選手になりたいかという質問に『自分は1回もボールに触らずにチームを勝たせる選手になりたい』と答えていた。面白いなあと思って。しっかり立ち位置を取りながら、走って仲間をオーガナイズして、というのは今もやっている感覚なので、それはあの頃から芽生えていたんだなと」

――引退した後、監督をやりたいと思ったことはなかったのですか。経営者としての力はどう磨いたのですか。

「指導者になりたい気持ちはあったけれど、メディアで解説の仕事や元選手ら20人くらいを抱えてサッカースクール事業を展開する会社を立ち上げたら、忙しくなって。40歳の頃、石屋製菓の石水勲会長に声をかけられて札幌の社長のオファーが来た。Jクラブの社長は親会社からの出向組が多く、僕のような形での成功モデルはなかったのでキャリアをイメージしにくかったけれど、それが自分には良かったのかもしれない」

「振り返ると、何か目標をしっかり定めて頑張ったのは高校まで。そこからは計画的偶発性というか、サッカーを一生懸命に楽しんでいたら世の中が勝手に変わって、たまたまJリーグができてプロになり、クラブの社長、チェアマンにまでなったみたいなところがある。節目節目で人とのいい出会いもあった」

「コンサドーレの社長になる時に『これからはサッカーじゃなくて経営だぞ』と周りに忠告されたけれど、グループを良くしてゲームに勝ち、お客さんが増えて価値が上がればいいわけで。不振が続くと空気はよどむ。それをどうしたら変えられるか。施策なのか人を代えることなのか。そういうことって、サッカーとあんまり変わらないと内心は思っていた」

Jリーグチェアマン 野々村芳和氏

Jリーグチェアマン 野々村芳和氏 

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