NIKKEIプラス1

都内には王道の唐揚げだけでなく、海外発の唐揚げを堪能できる店もある。東京・渋谷の「MOJA in the HOUSE」は「ワッフルチキン」を提供する。ワッフルに唐揚げをのせ、お好みでメープルシロップをかける。鈴木裕希店長によると、米国南部を中心とした家庭料理の一つといい、甘じょっぱくておいしい。

高田馬場駅近くの「横濱炸鶏排(ざーじーぱい)」は台湾唐揚げを販売。タピオカ粉を衣にむね肉を揚げ、スパイスで味付けする。幅が40センチを超えることもある大判サイズが一番人気だ。

横濱炸鶏排(ざーじーぱい)の台湾唐揚げは40センチを超える大判サイズ(東京都新宿区の高田馬場店)

今や国民食ともいえる唐揚げだが、国内に定着したのは1960年代後半から70年代前半ごろとされる。戦後、米国産ブロイラーが入ってきて養鶏技術も向上。高度経済成長期で肉の需要が高まっていたことから、安価な鶏肉が庶民の食卓に定着した。

日本唐揚協会の八木さんによると、ブロイラーの肉は現在と異なり「かたい・くさい」が課題だった。しょうゆなどを使ってくさみを取り除いてできたのが唐揚げだった。大分にはすでに鶏のてんぷら「とり天」があったが、鮮度が高い鶏肉を使う必要があった。「鶏肉の鮮度がやや落ちても食べられるところも、唐揚げを優位にした」(八木さん)という。

唐揚げはからの字に「空」と「唐」がある。空は素揚げなどを意味し、調理するときの鶏肉の様子を表すともいわれる。一方、唐は唐揚げが中国由来の食べ物であることを尊重した表記だという。唐揚げは奥の深い食べ物なのだ。

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聖なる存在だったニワトリ

闘鶏を見る熊野別当湛増(右)と弁慶の像(和歌山県田辺市)

鶏は東南アジア原産の赤色野鶏が品種改良された動物だ。日本には中国大陸から朝鮮半島を伝わり弥生時代に入ってきたとされる。東京大学の菅豊教授によれば古代や中世には食用になっていたとされる。

ただ、鶏は古代や中世社会では特別な鳥との認識があった。上智大学の中沢克昭教授は「吉凶を占うなど神聖視される存在でもあった」と話す。当時、夜はあの世に通じ、昼とは別世界だととらえられていた。鶏は鳴き声で夜と昼の境目を知らせる「時告げ鳥」だった。また鶏同士を戦わせる「鶏合」を通じて占いにも使われていたという。

鶏合で有名なのは熊野三山をまとめる熊野別当の湛増が命じた闘鶏。『平家物語』によると鶏合で源平のうち源氏側への味方を決め、平氏が倒れた壇ノ浦の戦いで重要な役割を果たした。

(清水玲男)

[NIKKEIプラス1 2021年9月18日付]