ひらめきブックレビュー

意外に人間くさい数学者たち 最新技術にも生きる功績 『世界を支えるすごい数学』

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この世界から数学が消滅したら何が起きるだろうか。コンピューター、携帯電話、インターネットに始まって、ジェット機、天気予報、高層ビルといった現代生活に欠かせないものが次々と消え去ってしまう。一方で核兵器も廃絶できる――。

このように数学の社会への貢献の幅広さを指摘するのが本書『世界を支えるすごい数学』(水谷淳訳)だ。各章で取り上げられる数学の応用シーンは、臓器移植のマッチング、インターネットのセキュリティー、3次元のCG(コンピューターグラフィックス)の動かし方、「JPEG」で用いられる画像圧縮、北極の氷の解け方など実に多岐にわたる。

本書は難解な数式で表される高度な数学にも触れているが、数学的な内容を理解できなくとも巧みな解説で要点を感じ取ることができ、何より生き生きと語られる数学者・技術者たちのドラマがたいへん興味深い。著者のイアン・スチュアート氏は英国ウォーリック大学数学科の名誉教授で王立協会フェローである。一般向け数学書を多く執筆している。

■アイデアを石に彫った数学者

19世紀のアイルランドの数学者ハミルトンのエピソードはとりわけ人間くさい。数学の功績で「ナイト」の称号を授かる一方で、自身が考え出した「四元数」なる概念に熱中するあまり、周囲から頭がどうかしてしまったと思われた。同時代に生きる人には理解されなかったのだ。

四元数とは3次元空間の幾何学を計算するための概念で、計算式を構想するのに3つの次元では足りないことから4番目の次元を考えなければならない、ということでひらめいたという。このアイデアを思い付いたときハミルトンは外出中だったので、目の前の橋の石積みにポケットナイフでアイデアを彫り込んだらしい。その文字はいまではすり減って消えてしまっているとのことだが、世紀の発見の瞬間を身近に感じてなんともワクワクする。

■「不合理な有効性」が広げる可能性

興味をひかれるのは、数学の「不合理な有効性」についてだ。一見わかりづらい言葉だが、その意味するところは簡明で、「ある考え方が、考案された由来とはまったくかけ離れた分野で応用できてしまう」ことを指す。

四元数の例をあげれば、現代的な応用の最先端は3次元のCGを滑らかに動かすための計算だ。映画やゲームに不可欠な技術だが、これにもっとも適していたのが四元数だったという。一方で、政敵のスキャンダル映像をでっち上げる「ディープフェイク」でも同じ手法が使われるらしい。

ハミルトンが四元数に熱中していたとき、こうした利用法は予想していなかったはずだ。生みの親の想定をはるかに超え、善にも悪にも応用範囲が広がっていく数学のポテンシャルの高さは、学者たちも「不合理」と思えるほどだ。数学は身近なようで奥が深い。そして、世界をより良くしていく可能性を秘めていることを、本書は教えてくれる。

今回の評者 = 戎橋 昌之
情報工場エディター。元官僚で、現在は官公庁向けコンサルタントとして働く傍ら、8万人超のビジネスパーソンをユーザーに持つ書籍ダイジェストサービス「SERENDIP」のエディターとしても活動。大阪府出身。東大卒。

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