インド三井物産社長 謙虚さを忘れないリーダーシップインド三井物産 ファイサル・アシュラフ社長(上)

インド三井物産社長 ファイサル・アシュラフ氏
インド三井物産社長 ファイサル・アシュラフ氏

インドの人口は2023年には中国を抜いて世界一になる見通しだ。約14億人の巨大市場での事業拡大に向けて三井物産は20年、現地法人のトップにファイサル・アシュラフ氏(56)を抜てきし、同社では初の現地出身者の海外現法社長となった。首都ニューデリーなどを拠点に200人超の社員を率いるアシュラフ氏は、新興国での事業を担う要諦として異彩を放つ。

――日本の商社に入社した経緯を教えてください。

「1980年代にデリー大学で商学を学びました。当時はインドのソフトウエア産業の対米展開が本格化する中で、IT(情報技術)企業が大量に人材を採用していました。私も最初はNIITというインドの大手IT企業のソフトウエア部門で働いていました。米国の販売業者とのやり取りが多かったです」

「好奇心で入った業界でしたが、物理的な世界と切り離されてしまっているという感覚を抱いていました。例えばIT業界では何かモノを動かすとしても、キーを押して画面上で移動させるだけです。でも現実の世界で何かを動かすためには、全く別のマネジメントが必要になります」

「バーチャルなデジタルの世界からアナログの世界に挑戦してみたいと思うようになりました。6年ほど勤務した後に日系の貿易会社に転職して、鉄鉱石の取引に関わるようになりました。その後、98年に三井物産に移りました」

――日本企業で戸惑いはありませんでしたか。

「私は日本語ができません。入社前はきっと困難に直面するだろうなと思っていたのですが、多様性を認め、受け入れてくれる社風と、上司や同僚に恵まれました。意思決定の遅さを感じることはありましたが、日本人と一緒に働くのは楽しかったです」

「私は子供時代の12年間で、7つの学校に通いました。インド空軍に所属していた父の仕事の関係で、国内を転々としました。新しい文化の中で新しい友人を作り、新しい言語を覚えるのは自然なことでした」

「初めて異文化に遭遇したのは、デリー(首都圏)からラダックに転校した5歳の時です。学校では英語でしたが、ラダックはチベット文化の影響も色濃く、日常の言葉や人々の外見も異なっていました。新しい環境を楽しむ中で、言語や文化が違っても、人間の基本はあまり変わらないと感じました」

――近年は米IT大手をはじめ、世界的な企業を率いるインド人材が目立ちます。

「グローバル企業のトップに就いたインド人の大半は、インドで人格形成した人々です。インドの物理的な大きさや多様性、既成の枠組みが生み出す複雑な環境や経験が、インド人リーダーの戦略に生きていると言えるでしょう」

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